東京都写真美術館「写真新世紀」展

写真を撮るって一体なんなんだ、、、

「イイ写」だね、なんて言うけれど、ただキレイで華やかな写真なら「誰が撮ったか」が意味を持つことはない。キレイで華やかな写真が氾濫している今、写真における作家性とは、撮っている人の「視点」と同時か、それ以上に、その人が撮った写真に通底する意味なのかもしれない。

 たとえば、タカデアズサさんのモノクロームで撮られた舞台袖からのバレエ、それに添えられた文章が無ければそれこそ「イイ写真だなあ」で終わっていたかもしれないけれど、自分自身が舞台に立つ側であるからこその客席側からではなくて、隣から見えている景色だったと知れると。
 華やかに舞う踊り子たちの、舞台袖の空気感、慌ただしくて、唇は緊張に張りつめていて、舞台では軽やかに跳ねるつま先や、たおやかなひろがりを持つ腕なんかも未だバレエの形を持っていないようなさま、というか、そういうのが想像できる視点であるということが、浮き上がってくる。

 「What Do You See, Old Apple Tree?」なんかもそう。ピンぼけた写真群がまさか、リンゴの中に込められたピンホールカメラによるものだなんて! リンゴから見えている視点であるように作って見せた、その面白みが醍醐味になっていたと思う。

制作意図
・蜜蜂が花へと向かう時、それは花を取り囲む世界を認識していない。見ることを定められたものの外側を見ること。
・プリミティブな感覚を維持するため、生活の中で接している様々なもの、仕事、行楽、習慣、技巧、テクノロジーなどと適度な距離を取り、素朴に接する。
・何か別の目的へと向かっている時にこそ、ふと冷めた目で世界を認識することが出来る。(なぜなら、見ること、作ることもまた用意された目的に囚われやすいから)
                      『2011-2018』, 別府雅史

これなんかもう哲学じゃん!と思ったわけですよ。いやいや、「写真論」なんていうのがある通り、それが論ずるにあたう術であることは知っていたけれど、自分はここまでものを意識して撮っていたか?いや撮ったことなどない。(反語)

今後の抱負。
自分の表現したいことをきちんと定めて、「作品」として構成する写真作りをする!

ということでいつか読もう……と思った本
ウォルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』
スーザン・ソンタグ『写真論』
ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』

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