海底ケーブルで繋がる、別子銅山としまなみの島 ー旅の栞 端出場水力発電所編ー
本日は、大人の修学旅行。アカデミックにいきますよ。おやじギャグ少なめ(たぶん・・)でお送りしまーす。
オイラは、地図を眺めるのが好きだ。
四国の地図を眺めていると、徳島市から松山市まで、
横一文字にずばーっと、大地の切れ目が続いている。
これが、中央構造線と呼ばれる大断層。ブラタモリでもおなじみの、
だんさー だ。
そして、そのだんさーを西から東に流れるのが、清流 吉野川。で、その吉野川支流のひとつが、別子銅山の南側の谷を流れる銅山川。
別子銅山近くに源流があるから、銅山川(って、そのまんまやんけー)
銅山川と吉野川とは、あの有名な三好市(大歩危)あたりで合流して、そのあと徳島県を横断し、淡路島の南あたりの海に出る。
雨粒ちゃんの大冒険だ。
銅山川の源流は、下記地図の赤丸のあたり、
オイラは「あまつぶ!」
ちかくの瀬戸内海に流れ出るつもりで、別子銅山に降り立った。
なのに、
あ~れ~
愛媛を離れ、ドンドンどんどん東に流され、徳島から太平洋に出てしまった。って、感じなのだ。
◇◇
前置きが長くなりましたが、
前回の別子銅山ハイキングの続きです。山歩きで観た遺構は、明治初期のころの街並みでした。
今回は、別子銅山最後期の遺構へ、ご案内します。
まずは、別子銅山の全体像(アリの巣)を見ていただこう。
前回紹介したのが、山の左側に赤丸がついている小足谷集落から東延あたり。山頂辺りで発見された鉱床は、どんどん地下深く掘り進んで、ついに地面すれすれの第四通洞まで、開通させました。
銅山を発見した300年前は、木を燃やしていた燃料も、木炭に変わり、そしてついに明治になると
「電気」の時代へ!
てってれてって、てーてーてー ♬ (ドラえもん風に)
すいりょく はつでーん
説明しよう!
水力発電は、高いところから水を、勢いよくぶわーっと流れ落とし、その水のチカラでタービン(水車)を回して発電する必要がある。
そう、必要なのは
みず
と、
だんさー
なのだ。
発電所の場所は、全体像(アリの巣)の右端にある「端出場」と決めた。そしてそこに、水を運ぶ必要があった。
◇◇
ぷろじぇくと えっくす!
長い前振りでした。もうお分かりですね。
ということで、中央構造線の南側、山の裏側の「銅山川」の水を、別子銅山の中をぶち抜いて、山の北側である瀬戸内側まで、もってきてしまったのだ。
雨粒ちゃんは、瀬戸内に行くことができるようになったのだ。
さらに、さらに、このプロジェクトXは、続く
精錬所の移設だ。
別子銅山をハゲ山にした酸性雨の原因、煙を出す精錬所を人里から離すことにした。同時に自然に戻すために、銅山に植林を始めた。
で、精錬所を移設した先が
こちら!
四阪島
瀬戸内海に、ポツンと浮かぶ無人島
四阪島の住所は、「宮窪町」
そう! オイラ達が、先日、自転車から眺めた激流の場所も「宮窪」であった。話がぐるっと回って、しまなみ海道に戻ってまいりました。
なんと!
この四阪島に製錬所を造って、そこまで海底ケーブルで送電をしたのだ。総延長20km、今から100年前、大正時代に・・びっくり仰天ですよね。
そして、現在も「住友金属鉱山 四阪製錬所」として稼働しているのだ。
◇◇
役目を終え、ひっそりとしていた煉瓦造りの建造物。
今年(2023年)の春、
耐震工事を終え、(旧)端出場発電所の内部が公開された。
発電所は、道の駅「マイントピア別子」のお隣にある。
いや、発電所のお隣に、道の駅をつくったというべきですね・・
タービンやモーターを、間近に見ることが出来る。
レンガ建物の下部、石垣の中に入って上を見上げると・・
建屋の中には、でーんと発電機が
体力に自信の無い方は、このマイントピア別子の遺構だけでも、観にいこう!
そして、お時間があれば、東平地区へのバスツアーに参加ください。
そして、別子銅山を裏側まで満喫したい方、道の駅から車で40分。日浦登山口から、遺構ハイキングへいこう!(くどいって)
はーい、なぐツー、愛媛の旅、いよいよ大団円です。
今回のタビでは、しまなみ海道、芸予諸島、そして、別子銅山を紹介しました。
住友財閥が、財を成した場所。そして、住友林業が山を守り、300年前に亡くなった同朋の盆供養を、毎年執り行っている場所。利益重視のこの世の中、この旅を通して、住友グループが好きになりました。
楽しんでいただけたでしょうか!
どうか、みなさんの旅の計画に、お役にたてますように・・
◇◇
さーて、次回からは新シリーズが始まります。
どこに行くんでしょうかね~
次の旅では、熊さんにあえんのか?
(おしまい)
他のなぐなぐ一味の旅が気になる方は、