あいのはなし

うちのボールパイソン君が自分でベビーマウスを食べるようになりました。
とっても複雑な心
これはなんだろう

あの子が雄か雌かも知りませんから、君とつけるのが適切かどうかわかりませんが、君かちゃんなら君の方が似合っています。

あの子は餌を自分から口にしなかったので、人間の手でむりくり口をこじ開けて喉に押し込まないといけなかったんです。それは凄く心苦しいのですけど でもそういうものだから、ペットって だからペットって存在マジで嫌いなんですけど 飲み込んでいたのですけど。強制給餌という様です。
食わないでいたいなら食わずに居れば良いと私は思ったりするのですけど、そういう訳にもゆかず。
大口をあけて、自分の胴の太さくらいあるものを、体をくねらせて苦しそうに飲み込んでいくのは、見ていて気持ちのいいものではありません、見ていると自分まで苦しくなってくるようです。私はあの子がものを食うのを見るのは嫌いです。

私はあの子の清浄で無垢そうなところが大好きでした。私のあの子に対する感情は、慈しむというよりか見惚れていたという感じでした。叶わない、とても心が苦しくなる何か が あの子でした。
ものを食おうとしない というのは その美しさの最たるところでした。

あの子は私の渇仰の対象でありながら、私の手の内にいました。人の手で管理されないと生きていけない子です。餌だってわかりやすい。無理矢理口に入れられないと食わないのだから、人がいなきゃものも食えず死んだでしょう。もしあのこが自然に帰されて 脱走したりしたとして 私は絶対にすぐ死に絶えるだろうと思います。それはベビーマウスを自ら口にした今でも変わりません。
脱走なんて絶対起こらないと思いますけれども。ショーケースの鍵を開けたままにしておいていたって、あの子はケースから出ようとなんてしないと思います。

何があったって勿論、あの子は無垢で幼くて可愛くて尊くて私の手の届かないところにいるのは間違い無いですけど、餌を食う様になってしまったのはやはりショックなのです。

幼くて可愛かった、心の底から愛らしかったものが、変貌してしまって、戻らないものになってしまうのを、時に成長だと言って、喜んだりします。でも、そんなものは所詮合理化でしか無いと私は考えます。どうしても心惹かれたものが、もう無くなってしまった現実に打ちひしがれて産生された、防衛機制。私は世の人間よりももっとずっと素直だと自負します。


羨ましくて羨ましくて羨ましかった、触れられなくても見ていられれば満たされたのに、見ることさえ叶わなくなった
変わらないものなんて無い のが
救いでもあります
見ていると、苦しくなったりするから
全てのものが等しく今しか無いのでしょう
私はあと何年生きられるかしらん、

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