未遂して入院した話#2

期間が空いてしまいすみません🙇‍♀️前回の続きです。前回は入院するまでを書いたので今回は入院中のことを書こうと思います。前回のnoteを読んでない方は是非読んでもらえると嬉しいです。






私の入院した病院はスマホ禁止なので預ける前に遺書を送っていた友達2人にLINEをして看護師さんに渡した。病棟に連れてかれるまでに鍵のかかったドアを数回通った。(脱走防止?)そして病棟の詰所(看護師さんが仕事してるとこ)の目の前の観察室という部屋が私の病室だった。ドアに鍵がついてて内側からも外側からも自分で開けることが出来ない仕様になっていた。多分未遂で入院だから目の届くところに居ないと危ないと判断されたのだろう。入院した病院は開放ゾーン、閉鎖ゾーン、PICUゾーンに別れていた。私は最初PICUゾーンだった。

PICU(以下Pと略します)に私は1週間程居た。朝の集いやご飯、作業療法、お風呂の時間以外はベッドと布団しかない自分の部屋で過ごすしかなくこの時間がとても苦痛だった。最初は寝てその時間を潰していた。作業療法の時に話しかけてくれたスタッフさんが本の持ち込みを許可してくれたからPの半分程はその時間に本を読んで時間を潰していた。Pには大体は入院したばかりの人が多いがたまに閉鎖、開放から戻ってきた人やずっとPから出られない人も居た。



--- 1週間後 ---
入院生活にも慣れ閉鎖ゾーンに移動した。
閉鎖はPより大きく行動の制限が無くなるから開放感がすごく移動できたことがとても嬉しかった。それでも開放ゾーンと比べたら行動の制限はあったけど。ここの病院には責任レベルというものがあった。

責任レベルの一部

みな最初は3-Aから始まり、ミーティングで徐々にレベルを上げていく、というものだった。私は特に目立ったことはしてなかったのでスルスルレベルが上がっていった。
閉鎖では朝の集いや作業療法の時間以外にミーティングや子供は運動と勉強の時間があった。Pと違って何も無い部屋に何時間もいるというのが無くなってとても嬉しかった。Pと比べれば自由に見えるが閉鎖はホールに繋がるドアが施錠されているので面会や運動の時間にスタッフさんに開けてもらわないと出れなかったことが唯一めんどくさかった。



--- 閉鎖移動から2週間後 ---
開放ゾーンに移動した。私が入院する前に居た子よりも先に開放に連れていかれたからびっくりした。開放はホールに自由に出入りできるしホールに置いてあるピアノを弾くことも出来たから暇な時弾いていいか確認してよく弾いていた。(ねこふんじゃったとか簡単なやつ)責任レベルも3-Cになったから運動がてら散歩にも行っていた。3月頃は日差しもそこまで強くないし散歩していてとても気持ちよかった。


外泊や話し合いを重ね、3月12日に退院した。


今回はここまでで。次は退院後のことを書こうと思います。
読んでくださりありがとうございました。



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