人間ドーピング

 頑張っている。

 大学4年(5年)秋。1年間の休学を経て、残りの単位を修得する為に頑張っている。残りの単位といっても、授業はGPA3.5という自己満足の果てにある美しい記録を持ったまま取り尽くしており、あとは卒業論文を残すのみだ。しかも、昨年の春学期に3分の1程は手をつけていたので、その残留物に現在着手しているというわけだ。
 実のところ、休学に至った決め手は卒論で、就活とかいう苦行、生き地獄、拷問、寿命短縮作業、脳萎縮手術、自殺未遂を繰り返していくうちに、「〇〇日の卒論面談までに△△をやってきてね」がさっぱり出来なくなったことが直接的な原因だ。論理的に考えることが一切できなくなった私の皮を被った化け物は、もちろん卒論なんて書けるはずがなく、カウンセラーさんに勧められるがまま1年間休学した。
 そしてこの秋復学したわけだが、久しぶりの卒論面談を約1時間半、ZOOMで行ったところ、脳がまたひどく疲れて泥沼の底にいるような感覚に陥り、再び化け物になりかけてしまった。たった1時間半、とくに緻密な作業をしていたわけでもないのに、たった1時間半。たったの1時間半でこのザマとは。もう私は一生化け物なのかと、理性を捨てて泣き腫らした記憶がある。頭がぼーっとしたまま、いつもの病院でそのことを伝えた。すると、ドパミンを増やすお薬を処方された。完全にドーピングである。最初は飲むことに抵抗感があったが、もう視界が悪くて仕方がないので、思い切って服薬することにした。そしたらどうだ。「〇〇日の卒論面談までに△△をやってきてね」を完全にやってこられるし、なんなら課題を出された当日に推敲お願いしますと教授にメールしてしまう始末である。もちろん面談後の鉛感(鉛のような感覚のこと)もない。いいからドーピングだ!
 しかし、ドーピング、ではなく薬には副作用がつきものというのはその通りで、とにかく睡眠が浅く、鮮明な悪夢ばかりみては心臓バックバクで飛び起きて、でもすぐ眠くなって、また奇妙な夢を見て、、、の繰り返しだ。卒論と悪夢の繰り返し。そんな生活を送っている。まあ、それらを天秤にかけたところで、卒論を書ける状態の維持に全ベットなのは変わりないのだが。

 話は戻って、復学してひしひしと実感してやまないことが一つある。それは人に頼ることが出来るようになった、ということだ。私の通う大学には弱者救済施設が山ほどあり、そこに属する人間はみな、(今のところではあるものの)本当に本当に優しい。就活で態度の悪い面接官、重箱の隅を突いて快楽と給料を得ているキャリアセンターの人間、嘘に嘘を重ねて成功する同級生を見てきて、心はだいぶ荒んだものだから、あまりにも優しい人間に多方面から命綱を引っ張られている状況に、ときどき泣きそうになる。こんなに自分のために動いてくれる人がいただろうかと、ならばこちらも全力で頼っていこうと、そんな気持ちでいるから、きっと卒論を、生きることを頑張れているのだと思う。私はこれを人間ドーピングと呼んでいる。周りより遥かに遅れをとったのだから、ストレスホルモンのコルチゾールのせいで海馬が萎縮してしまったのだから、それぐらい許されるはずだ。どうか命綱よ切れないでくれと、私は今も必死にしがみついている。

 頑張っている。これを頑張っていると呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。頑張るなんて、その程度のことだ。そんな程度の、とてもすごくて、景色すら変わってしまうような偉大なことだ。うつの人に頑張って、は禁句だ。でも私は頑張っている。だからもう、頑張ってって言ってもいいんだね。化け物よさようなら。人間なめんな。

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