水瓶

抗うつ薬を飲み始めて、もう1年を過ぎたところだろうか。
ばらばらになった心をまた繋ぎ合わせるために必要な薬。即効性はなく、頭に足りなくなった神経伝達物質を補って少しずつ元の感覚を取り戻すような、そんな薬。
それを飲み続けたおかげか、休養のおかげか、カウンセリングのおかげか、はたまたそのすべてか、手段はともあれ目的は達成されつつあると思う。最近はそんなに悲しくないし、泣くこともないし、あの言葉を聞いて血の気が引くこともだいぶ少なくなった。でも、根底にいる何かが、まるで違う。
あくまで自分の体感の話だけど、心とは水瓶だ。よくストレスを溜め込むと一気に溢れ出るなんて言われるが、うつ状態は水瓶の破損、そんな表現がしっくりくると思う。割れてしまったものを元に戻したとて、こぼれ落ちた水はもう返ってこない。心は心になっても、水瓶は水瓶になっても、所詮空っぽなのだ。カウンセリングで負の感情に汚染された水を排出して、薬と休養で割れた水瓶の破片同士をくっつける。その繰り返しの果ての今の自分には、もう何もない。常にへばりついていた悲しみも、突拍子もない涙も、嫌な焦燥も、それらを取り戻す気力も。
いたって元気なのに、別人になったみたいだ。置いてけぼりの希死念慮すら救いだと感じてしまうほどに、まともな心で途方に暮れている。泥のような感覚を無視しようにもあらゆる細胞に染み込み記憶されてしまったようで、無意識的に自分を痛めつけたり飛び降りたりしてみたくなる。そんなことに恐怖心すら抱かなくなってしまっている。

今日熱すぎるシャワーを浴びながらそんなことが浮かんできたので、久しぶりにnoteに吐き出してみた。なんだか全てに疲れてしまった。文字を打つのもめんどくさい。まあなんだ、うつにならないことを強くお勧めします。戻るという意味では、一生治らないので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?