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本家を大切にしてほしい

映画用の提供楽曲

ワンピースの映画、『FILM RED』の劇中歌に「私は最強」という曲があります。
これは登場人物のウタ(歌唱CV:Ado)という方が歌っているらしいです。
んで、その曲は提供楽曲なんだそうで作曲者がMrs Green Apple(以下ミセス)とのこと。
他にも提供されている方たちがいるそうなので気になった方は調べてみるといいかもしれません。

8月→11月

気になったのはこの期間、たった3か月。
なんの期間かというと提供曲が映画公開されてからセルフカバーされるまでなんですよね。
音楽好きな方の中には疑問思った人もいると思います。
自分もその一人なのですが、とにかく早すぎるんじゃないかと。
有名なのでいうと、PUFFYの「愛のしるし」はスピッツのボーカルが提供していますが、セルフカバーするまでは1年ほどかけています。
同じくPUFFYでいうと、「アジアの純真」も奥田民生と井上陽水がセルフカバーするまで大体1年ぐらいです。
最低でも半年は間をあけてほしいなと。
なので個人的に、儲けにきたなと思いましたね。
話題になっている今しかないと。
ただ商業という観点からみると正解なのでしょうね。

短期間において最大のデメリット

ここからが本題です。
短くても問題ないじゃない!と言われればそれまでですが。
はっきり言うと、本家がなくなるんです。
なくなるというのは、実際にの話ではなく印象や記憶。
世間の人たちの頭から消し去られます。
個人的に、映画の挿入歌や使用される提供曲は、映像と共に思い出されると思っていて、また見てみたいなという欲求にも繋がると思うんですよね。
それって映画にとって大事な要素の一つだと思うんです。
本来そういう映画製作側的にもプラスなことも、この場合だとマイナスになりえるんじゃないかと。
それを踏まえると、本人たちに今後映画の仕事がこないのではとも思ってしまうんですよね。
そして歌を歌う側にとってもデメリットとなりえます。
今回歌っているのがAdoで、提供側がミセスです。
Adoの印象が固まる前に「私が元祖です」とセルフカバーしてしまったので、この曲は”提供曲”でありながら”ミセスの曲”になってしまいました。
最悪の場合、ミセスのカバーを映画で歌ったAdoなんて認知される可能性もあるわけです。

提供曲ってなんだっけ?

更に気になったこと。
今回の曲なんですが、提供曲には聞こえないんですよね。
要は、提供しているのだから歌う側の声質、音域諸々を考慮したうえで自身の味を出すものと認識しているのですが、今回はそれがなく、はなから自分たちが歌う前提で作られたのではと思いました。
癖の強いメロディーラインや、明らかにミセス側のボーカルが得意としている音域だったり。
自分の認識が間違っているのか、今回の件が特殊なのか。
今一度提供曲に関して考えさせられました。

以上!

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