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『「叱らない」が子どもを苦しめる』を読んで


はじめに

 こんにちは。
 noteを開いてくださりありがとうございます。
 とある町で小学校の先生をしている、ひろきです。
 noteでは、普段から大切にしていることやふと思っていること思ったことを不定期で書き溜めていきます。

 さて、子育てをしていると、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。
 子どもにとって大切なのは、うまくいってみんながいい気分になれる経験でしょうか、それともうまくいかずにごちゃごちゃしてしまう経験でしょうか。

 今回の記事では、『叱らない」が子どもを苦しめる』という本を読んで特に興味深かったことを書いていこうと思います。

 子育てをしている方にもしていない方にも響く本ですし、この記事に書かれていること以外も素晴らしい内容がたくさんありました。
 是非リンクからどんな本なのか見に行ってみてください。

「世界からの押し返し」

 子育てをしている時、子どもは様々な要求を大人に対して投げつけてきます。
 例えば、公園で遊びたい、テレビを見たい、お迎えはママがいい、ピーマンは食べたくない、お肉を食べたい、お風呂に入りたくない‥‥なとです。
 子育てをする人はその要求たちとうまく付き合って、「じゃあ、公園に行こか」「テレビつけようか」「ピーマンは置いといて別の野菜を食べようか」などとその子やその状況に応じて関わり方を取捨選択しています。

 しかし、いくら子育てをする側が気を回し、「完璧だ」と思える関わりをしたとしても、まれに「違う!」「お肉はこのお皿じゃない!」と子どものこだわりやイライラに触れてしまうことがあります。
 その時は、「しまった。この間と同じミスをしてしまった。せっかく楽しく食事をしていたのに…」と自分を責めてしまいがちです。

 これは、悪いことなのでしょうか。

 このことについて、筆者は次のように言っています。

 乳幼児期の子どもを育てる親に伝えたいのは、こういった「子どもの気持ちを推し量ろうとして、でも間違ってしまう」という体験は「あった方が良い」ということです(「あっても良い」のではなく「あった方が良い」ということが大切ですよ)。一生懸命、子どものためにやろうとしたけど子どもの思いとズレてしまうことは、絶対に無くすことはできないですし、そういう体験があった方が「子どものこころの成熟」にプラスになる面が大きいのです。

薮下遊(2024).『「叱らない」が子どもを苦しめる』.筑摩書房.

 大人の対応のミスは、むしろあった方が良いと言っているのです。
 なぜなら、これから子どもたちが生きていく世界が「100%自分の意向に沿って対応してくれる」なんてことは絶対にあり得ないからです。

 現代の世の中には「自由にさせてあげた方が良い」「叱るのは可哀想」という風潮があることは承知していますが、適切に叱られる、止められる、諫められることによってもたらされる「子どものこころの成熟」も理解しておいてほしいと切に願います。
 子どもが社会的な存在として成熟していくためには、こうした「世界からの押し返し」を経て、現実に合わせて自分を調整するという経験が絶対に必要なのです。

薮下遊(2024).『「叱らない」が子どもを苦しめる』.筑摩書房.

 こうした「思い通りにいかない経験」のことを筆者は、「世界からの押し返し」と言い換えています。
 小学校の授業で「足し算」を習うように、子どもたちは、「世界からの押し返し」をこうしたミスから学び取って成長していくのです。

「関係性の中で納める」

 なるほど。
 何でもかんでも、子どもの要求の通りにできなくてもいいのか。
 そう思うと、少し肩の荷が降りたような気分になりますね。子育てをしていると、たまに「この子が泣いているのは私のせいなんじゃ…。」と思ってしまうこともあるからです。

 「世界からの押し返し」として、関わりのミスが起こることは良いことだと理解ができました。
 しかし、目の前には、泣きわめく、お皿をひっくり返す、物を投げつけるなどの我が子の姿があります。
 こうした時、どう関わっていけばいいのでしょうか。 

 ダメなことをしてるから、叱る‥…?
 それとも…。
 筆者は次のように言及しています。

 こうした状況で大切なのは、子どもの不快感が生じないように環境を調整するのではなく、「思い通りにならない環境」に出会った時の不快感が親子関係の中で受けとめられ、なだめられながら納めていくことです。
 「迎えはお母さんが良い!」と言われたとしても、「今日はお母さんが忙しいから、しょうがないよ」「我慢してお父さんと帰ろう」と声をかけて連れて帰れば良いですし、その時に生じる不快感を「しょうがないよー」と困りつつも受けとめていけば良いわけです。

薮下遊(2024).『「叱らない」が子どもを苦しめる』.筑摩書房.

キーワードは、
不快感が親子関係の中で受けとめられ、なだめられながら納めていくこと」です。

 大人の関わりのミスで生まれた「世界からの押し返し」のチャンス。
 そのチャンスをものにするためには、

 ①不快感を親子関係の中で、受け入れること
 ②不快感を親子関係の中で、なだめること
 ③不快感を親子関係の中で、納めること

 この3のステップが大切だということです。

 思い通りにならない環境に出会う事は、誰もにとって心地の悪いことです。
 ですから、さっきほども書いた通り、目の前には、泣き喚く、お皿をひっくり返す、物を投げつけるなどの我が子の姿があるかもしれません。

 その時に、まずすべきことは、上のステップに当てはめると「共感」になります。
 「いつものお皿じゃなかったから嫌だったんだね。その気持ちわかるよ。」
 「テレビを見たい気分になったんだね。分かるよ。」
というように子どもの要求を代弁するような形で関わるのが良いと思います。

 すると、次は、「なだめる」です。
 具体的には、子どもの言い分を聞いてあげたり、背中をさすってあげたりすることだと私は捉えました。
 子どもが落ち着きを取り戻すまで、ボディタッチや優しい言葉で味方についてあげるというスタンスです。

 そして、最後に「納める」 
 ここでは、事実を伝えます。
「でもね、いつも使っているお皿は今洗っているから使えないんだ。」
「テレビは今日たくさん見たからもう見る時間は終わったんだ。」
 と子どもにとって、イヤだったり、都合の悪いことを伝えます。

 こうした関わりは、本書を読んで私が捉えた関わり方です。ですので一例に過ぎません。
 また、時間的や体力的に、毎回毎回この関わりができるわけではありません。
 しかし、大切なのは、「不快感を親子関係の中で納める」ことです。

関係性の中で納めていく」を実際の関わりに言い換えれば、「ごちゃごちゃとしたやり取りを根気強く続ける」ということになります。

 筆者は、このやりとりのことを「ごちゃごちゃとしたやり取り」と言い換えています。
 「根気強く続ける」という言葉にも表れていますが、子どもの不快感との付き合い方に「コレ」という決まった解決策はありません。
 その子の年齢、性格、状況、関係性、タイミングなどによってうまく納められる時もあれば、うまく関わることができずに親子ケンカになるときもあります。


 しかし、うまく行っても、いかなくても子どもにとってはどちらも大切な経験となるのです。 
 そのことについて筆者は次ように述べています。


「ネガティブな自分」に出会ったとき、それも「自分の一部だ」と認めるにはそれなりの「こころの強さ」が求められます(こうした「こころの強さ」を心理学では「自我強度」と呼んだりします)。この「こころの強さ」は、もともと備わった能力も影響しますが、小さい頃からその年齢に合わせて「心理的衝撃」を経験し、その「心理的衝撃」を身近な大人との関係の中で納めているという連続した体験群も重要になります。

薮下遊(2024).『「叱らない」が子どもを苦しめる』.筑摩書房.

 不快感を親子関係の中で納める経験は、「安全な場で自我強度を高める訓練」になります。
 これを経ずに、大人になると社会の中で、経験したことない「心理的衝撃」を受けることになり、自分1人で収めることができずに、社会から離脱してしまうという悲しい状況に陥ってしまうことがあります。

 筆者が述べているように、「心理的衝撃」に耐え、自分を支えてくれるものが「過去の心理的衝撃を身近な大人との関係の中で納めているという連続した体験群」となります。
 この体験群を子どものうちに経験することが重要なのです。

理想は"幼い時期から”

 では、いつからこの経験を我が子にさせるべきなのでしょうか。

 筆者はこのことについても述べています。

 こうした「思い通りにならない環境に出会った時の不快感」を親子の関係性の中で納めていくという作業は、明確に「子どもが幼い時期の方がやりやすい」のです。
 この理由は簡単です。親が「思い通りにならない環境」として立ちはだかると同時に「その不快感を受けとめる」という「一人二役」をしやすいのは、小学校低学年くらいまでなんです。子どもが幼ければ幼いほど、親が「ダメ!」と叱って不快感を抱えたとしても、その叱った親にすがって慰められるという構図になりやすく、そうした「不快感+慰め」というワンセットを通して子どもは不快感を納める経験を重ねていくのです。

薮下遊(2024).『「叱らない」が子どもを苦しめる』.筑摩書房.

 大人との関係が近い「幼い時期」から「世界からの押し返し」を行い、その時に生まれた良い「不快感」を「親子関係の中でおさめていく」ことが大切だということです。

終わりに

この本からは、本当に学ぶことが多くありました。
その一端をまとめましたが、ついつい長くなってしまいました。
最後まで記事を読んでくださってありがとうございました。

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