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Nagiさん、なんでそんなにポジティブなんですか?

なんでそんなにポジティブなんですか!!ってよく言われます。
そもそも私は根っからの陰キャでネガティブな人間でした。
しかもうつ病やパニック障害を持っていたりと想像できない一面もあったりします。
そんな私のエピソードをグダグダ語りたいと思います。
めちゃくちゃ長いので、暇なときにw


おことわり

※本記事には精神疾患や精神障害・人格障害の話が出てきます。
苦手な方は即座に画面を閉じてスマホの電源を切りましょう。

社会不適合者のレッテル

もとは普通の何の変哲もない社会人でした。
夢は起業して自分のやりたいことをやることでしたが、社会人ですらうまく行ってない頃でした。
職業としてはシステムエンジニア・プログラマーといったところですね。
毎日残業で終わりの見えない差分リリースと戦ってた時代です。
2徹くらいして、開発会議に出たときのことでした。
私は上司から議事録を取ることを任されたので、会議を聞きながら文字を打っていたのですが、最初だけ書いたときに話が突然わからなくなり誰が何を言っているのか全然わからなくなって議事録を取ることができなくなってしまいました。
会議が終わって焦る私に上司が
「お前は議事録もとれないのか、社会人として最低限それくらいは出来てもらわんと・・・」
もちろん私もこんなはずじゃなかったと思い、なぜこうなったのかもわからずパニクって上司に対して暴言を吐くというとんでもないことをしてしまいました。
「書けないもんは仕方ないでしょう!私だって努力したんですけど書けなかったんですよ!!」
そう言い放って冷たい視線を払い除けて外に飛び出したときには自然と涙が流れていました。
その日はそのまま早退し、信頼できる友人に話をすると一度心療内科に行った方がいいと薦められました。
もちろん、そんな気はしてたので私も一度行ってみようという気持ちになり、病院に行くことにしました。
結果だけ言うと、双極性障害と診断されました。躁うつ病ってやつですね。
確かに、その頃自転車で通ってたんですが一時停止の看板があって車がバンバン走ってるのになぜか無意識に止まらなくても行ける!ってなって何度か事故りそうになってたことがあったのでちょっと前からおかしかったんでしょう。
そして診断書を握りしめて会社に行き、長期の休暇を取ることとなりました。
あとから聞いたんですがその現場で上司は私のことを社会不適合者と呼んでたみたいです。

底辺の底辺

医者からは治るもんでもないからうまく付き合っていこうと言われていましたが、給料安かったので気持ちばかりの傷病手当だけを元手に毎日寝て起きて病院にカウンセリングに行く毎日で更に落ちていきました。
近くにある東京湾の人工砂浜でベンチに座って自分の将来に絶望していたのをはっきり覚えてます。
自分に死ぬ勇気があったらあの海に飛び込めるんだろうなとか思ってましたね。死ぬ勇気がなくて本当によかった・・・
この期間、好きなアニメを見たり好きでもないゲームをやりまくったりしてどうにか気を紛らわせていましたが娯楽も尽きてお金も尽きました(
そこからどうせこの先どうにもならないんだから借金で生活回すなんてアホな考えになり、社会人時代に作っていたクレジットカードのキャッシング枠をめいいっぱい使って生活してしまっていました。
でもそんな生活長く続かず、クビが回らなくなり自己破産を余儀なくされ破産したはいいものの、病院にも行かずなんの希望もない日々になりました。
明日食う飯がないと言う状況になっていました。

希望と絶望

そんなときmixi(当時はSNSといえばmixiだった)に通知が来ました。
精神異常で悩んでいるコミュニティに入っていたのでそこからのDMでした。
文章はよく覚えていませんがこんな感じだった。
「はじめまして、私も同じ障害を持つXX歳です。あなたが苦しんでいることすごくわかります。今度気晴らしにあって話しませんか!」
当時の私は藁にもすがる思いでこの言葉に飛びついてしまいました。
これが最悪の結果を生むのですが・・
その日、近くのファミレスでその人と合う約束をしました
(ちなみに同性ですw下心はありませんw)
その後、他愛も無い話をたくさんしました。
おもったよりも好感触だったので何度もあってお互いのことを打ち明け合い、友達と呼べるような関係になりました。
そんなある日、呼び出された私はいつものように話をして帰ろうとしました。
その時、その彼から
「お金、困ってるんだろ?いいのがあるんだ今度渋谷の先輩のところへ行こう」
と言われ、信用していたので何の話かも聞かずにホイホイ付いていきました。
連れてこられたのは渋谷の一等地、タワマンの上層階。
中に入ると、彼が一言
「今日一緒に実演を聴く人たちだよ!挨拶してね!」
と言われ、実演?なんそれ?ってなりながらも
「よ、よろしくおねがいします」
と言いながら席に座る。

そこからはもうお決まりのパターン

先輩「はい、ここに洗剤がありますね」
彼「あの洗剤すごいんだぜ!!」
先輩「すごい落ちるでしょ!これが手に入るんです!」
私「あぁそういうことか・・・」

○ムウェイでしたwwww

なんか、私の中で全ての行動が無駄だったことを悟って、心が一気に砕ける音がした気がしました。

その場は後で申込書を書きますといいうまくごまかし、そそくさと家に帰りました。
そして申込書はゴミ箱に入れました。
その後、彼から一切連絡が来ることはありませんでした。

再起

それから何年経ったでしょうか、ずっと立ち直れずに惰性で日々を過ごしていました。
そんな時、社会人時代にお世話になった人から連絡が来ました。
「今度大きいプロジェクトがあって人が足りなくて、ちょうど君を思い出して連絡してみたんだ、いい機会だからやってみないか?」
大手の案件で、開発期間にも余裕があり、正直めっちゃ嬉しかったのですが、状況もあるので一旦考えさせてもらうことにしました。
なかなか決められずにいると状況を知ったその人からまた連絡が来て言われました。
「状況はわかった、だけどそのまま何もしないでいたら君はずっと何もしないまま人生を過ごすことになってしまう、君みたいな才能がある人はあまりいない、だからどうか手を貸してほしいんだ。」
正直こんな事言われたら心動かされてしまいますよねww
結局、ダメならすぐに休ませてもらうし合わなければ辞めていいと言われ、フリーランスとして参画することとなりました。
そこからが転機でした、とても良いプロジェクトで労働者の管理もきちんとされており、品質も申し分なく動ける体制で、誰も文句を言わない職場でした。
この案件でいろいろな功績を残すことが出来て、次へのステップアップも成し遂げることとなり、一旦実家の手伝いでしばらく実家にいた事(これは消防団とか色々闇があるので別で記事にしたいですね実はTwitterに投稿してたw)以外は何も問題なく進みました。

新天地とパニック障害

この頃には職場で出会った人と結婚したことを期に安定した社会人に戻ろうと、フリーランスを辞め社会人に戻ることを決めました。
しかし、この選択がまたもどん底を生んでしまったのです。
当時私は新宿に出向していました。
その出向先はラボだったのですが、とにかくメンバーの関係性が悪く愚痴ばかり、誰かが誰かを嫌っている中での仕事でした。
毎日気まずくなりながら仕事をしていると、リーダー変更の辞令が出ました。
現場の雰囲気を重く見た上層部がこれを解決しようとして送り込んだのがそのリーダーでした。
しかしそのリーダーはその会社ではかなりの地位を持っており、おそらく給料もかなりもらっていて、何故か歓迎会では歓楽街であそばされるという苦行をさせられ、しかも割り勘っていうwww
あとその人、仕事中にガムを噛むのはいいのですが口を開けて噛むのでクチャクチャ音がひどくマジで仕事になりませんでした。
そんな職場に絶望してる中、ある日通勤中の電車の中で誰かに見られている誰かに殺されるんじゃないかという不安に襲われます。
パニックになって汗だくになってその場に倒れ込んでしまいました。
このときは驚いた乗客の人たちが電車からおろして救急車を呼んでくれたのですが、そこからまた原因不明の症状に苦しみ会社にいけなくなってしまいました。
毎日毎日身内に殺される夢を見ては目覚め、汗だくになっているというのを繰り返しているうちに過去の精神疾患のことを思い出して、もうあの頃には戻りたくない!!絶対に認めてたまるものか!!と思い病院にも行かずにちょっとした休暇で治るだろうと思っていました。
何箇所も病院を回って、絶対に精神的なものじゃないから徹底的に検査してくださいと言って医者を困らせては異常なしの判定。
流石に妻に言われて心療内科に行くと、パニック障害及び広場恐怖と言われ結局精神的なものだったことがわかりました。

どこにもいけない日々

外に出ると吐き気、電車を見るとめまい。
もう何も出来ない、結局私はなにも変わってなかったと絶望しました。
飯もろくに食えず、体重も減り、妻にも迷惑をかけ、本当に絶望でした。
そんな中でも妻は弱音も吐かずにずっと支えてくれたことが今でも感謝してもしきれないと思ってます。

それでもなんとかしなければいけないと思っていたそんなときに、あるものと出会います。

NFTとの出会い

もともと暗号資産は趣味で触っていましたが、この頃にはNFTが出始めでなにか面白いことをやっている人たちを見て楽しそうだなーっと思うようになりました。
所持している暗号資産に余裕もあったので色々とNFTを買ったりして外に出なくても出来る交流を楽しむようになりました。

しかし現実ではお金もなく、することは何もなかったのでNFTとブロックチェーンの勉強を始めました。
色々学ぶうちにブロックチェーンの仕組みに触れて面白いことがたくさんできることがわかり、開発が楽しくなりました。
それでも前の記事で書いた通り、作ったものが有名になったりはしませんでしたが、着実にスキルは身についていました。
そんな時、運命というか縁というかNFTに興味を持っている人たちが周りに集まってきてくれて、一緒にPJをやろうと言ってくれて、何個かPJをこなしました。
その中でも鍵になってくるのがKOMAPPYさんで、一緒にM0EというPJをやりました。
このM0Eと言うPJをやったことによって人生が変わったと行っても過言ではないです。

マジ女神?いや魔王!

それからしばらく何もせずにNFT開発のネタをばら撒いてたときでした。
とある魔王様からお誘いがありました。
「ちょっと今度、ジェネラティブプロジェクトやるんだけど手伝ってくれないです?」
おお!こんな私に慈悲を与えてくれるのか!!っと思いながら協力しますと即答。
実はM0Eの成果を見てくれていたみたいです。

それが、つまりはMEGAMIプロジェクトだったわけです。
誘ってくれたFaoさん魔王様には一生感謝し続けます。

MEGAMIプロジェクトに関わって自分が出来ることがこんなにも人を喜ばせることが出来ると気づいて、喜ばせることが出来る自分がポジティブでいなきゃダメだなって思うようになりました。
ポジティブになろうと思ったというよりかは自然とポジティブになっていく感覚でしたね。
NFTで活躍できる、これから頑張れる、これで夢が追えるという。
MEGAMIプロジェクトに参加して沢山称賛してもらい自信もついて、起業を決意しました。
そうだ、私は自分に自信がなかったんだなって気づいて自信をつけよう、実践していこうと思って生きるようになりました。
決して自信過剰にならない程度にはしていますが、起業することが出来たことで更にポジティブになりました。

それ故に、私はポジティブです。
単純に今まで経験したこと以上のことが起こらなければポジティブで居続けられます。
だって、こんなこともう起きないでしょww
起きたらそれはそれで運命なんだろうけど、確率論で行ったら低いほうだと思うし。

最後に

なんでこんなこと書いてるかって?
それは、NFTを理由に他人のせいにしたり自分の都合でNFTを馬鹿にする人がいるからじゃないか!!
ちゃんとNFT界隈が良くなってほしいと願ってずっとやってるし、変なことしないでほしいんよね。

病気を理由にして何かを諦めるのも仕方ないことかもしれないけど、克服してまた頑張ろうと思える誰かのきっかけになれたらそれはすごく嬉しいことかな。
病気だから仕方ない、やれない、無理。って思ってるならゆっくり休めばいいし、私みたいになにかやってみるのもいいと思います。

ほとんどの人が精神的な病気の人に、何甘えてんだ!って言えないと思うのですが、経験者だから言えます。
がんばれます、やれます、生きれます。
悲観することなんて何もないのです。

チラシの裏

私まどマギが大好きなんですよね、ダークで救いようがない物語だから色々考えさせられます。新作劇場版ワルプルギスの廻天楽しみです。

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