あとはシャッターを、ひとつ切るだけ
写真をやる人間はたいてい独占欲がつよいと思う。
そんなふうに見えずともちっとも自覚に及ばなくとも、習慣がそうさせているならもはや認めるしかほかない。
まなざしをどうしたって取りこぼしたくはない。
誰かの写真をみて辿り着けなかった領域が提示されているのなら、ひたむきに関係性が結ばれているのなら、それは絶対的に羨ましい。
まなざしを、どうしたって取りこぼしたくない。
だけどそのまなざしになにを含んでいるかが大きく違うのだと思う。
表情、動き、造形、所作、光、会話、暮らし、直線、かろやかさ、たわみ、
そこにはなにかが映っているし、なにかが映っていない、とてもシンプルだ。
取り返しのつかない瞬間は保存され、再生され、永遠に反復されるいう一定の条件下の中で、私が選んだものとあなたが選んだものはまるでちがう。
私が見たものを追体験させたいみたいな欲求は徹底的につまらないし、あなたが見たものを追体験できるかもしれない期待は馬鹿らしい。
あなたを見る以上に見つめるということ。
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