楽しさのベンチマーク

やってますか人生、楽しいですか。

僕は別に楽しくはないです。


さて、唐突に画像はって何よって、私beatmaniaを大学二年生から多分五年ぐらいやってます。で、ようやく八段。褒めて

beatmania、結構哲学的で、自分は何をやってるんだって思いながらやってるんですよ。わからないけど楽しい、だからやる。

で、無理やりでも理屈付けして楽しいを裏付けしつつ、自分に楽しさへ疑念を持たせないためにちょっと文を書こうかと思った次第です。

楽しさって何よ

楽しさって何よ、哲学的すぎる。

娯楽って人生においてあくまでサブじゃないっすか、飯食うのすら危うい無職がゲーセン通いって結構頭おかしいと思うんすよね。

ちょっと根源的な話をしていきます。

僕、青森の寒村(比喩表現)出身で、お金に余裕がある家で生まれたわけじゃないんで、楽しいこと、高校ぐらいまでタダでできることしかわかんなかったんですよね。恋愛とかそういうのはそのうち。

で、タダでできる娯楽は何かっていうと、図書館に行く。これぐらいしかない。

父も母も幸いまともに本は読まない、かつ一般人なので「本を読む」って行為に一種の神聖を感じているんです。テンプレな天才少年キャラが本読んでるそんなイメージを持ってくれているんですね。

その環境では、僕にとって本、というかフィクションが作ってくれた文脈こそ娯楽のすべてだったんです。現実では人を殺しても複雑な文脈は発生しないし、古くからの因縁もない。でも本の中では人が濃密に関係をやっていく。それを観戦しているのが僕の楽しみの全てでした。

そういうわけで、僕、ある一定のところまではゲームだったりアニメだったり漫画だったりも、楽しみ=文脈性だったんですよ。価値観の広がりがなさすぎる。

それで、音ゲーの話

初めて音ゲーをやったのは多分高2の時、リフレクやったのがきっかけだったと思います。

音ゲーってね、やってることは好きな曲に合わせてケツ振りながらボタンを押すこと、いろんなコンテンツが出てもそれだけ変わらないコンテンツなんですよね。

何が楽しいんだろう、正直分からなくなってきた。

beatmaniaに関しては自尊心が極限に低い僕が、雑に自己肯定感を盛るためにやっている感はありますね。頑張ったらうまくなる。画面がめっちゃ褒めてくれる。それが楽しみの根源な気がします。

まとめると

特に意味はなくても、頑張って褒めてもらって嬉しいが人間の大本なのかもしれないですね。

まぁそもそも社会とか政治とか人間関係とかもフィクションみたいなもんですし。フィクションって現実の模倣ですし。意味とかないんで、そんなこと考えるのすら無意味かもしれない。

まぁ、ぼちぼち楽しいをしましょう。

以上です。

あ、弐寺のIDは3921-9394です、よかったら使ってください。

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