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奇妙な生きた宝石

「生きた宝石」と呼ばれる多肉植物がいる。玉型メセンのリトープスだ。

リトープスは砂利の多い砂漠や岩場に自生しており、周りの石の色合いや模様を擬態する植物だ。動物に食べられないように、石ころになりきっているのだ。この自己防衛手段が、何とも可愛らしいではないか。

リトープスは色も種類も豊富なので寄せ植えしたら、本当に宝石箱のようにみえる。私も色とりどりのリトープス丼を作ってみたいが、残念ながら予算オーバーになるので、未だに茶系の地味丼しか出来ていない。やはり宝石というものは、植物界でも高価なものなのだ。
買えないなら自分で増やすしかない。リトープスを増やすには実生や株分けだ。株が分かれる状態‥‥つまり分頭しなければ株分け出来ないのだが、リトープスの分頭は2~3年に1回と滅多にないので、株分けは難しい。
なのでリトープスを増やすには、種から育てること(実生)が一般的だ。私も一度、種からリトープスを育ててみたが見事に失敗した。単に私がズボラだけなのかもしれないが、実生は手間がかかるのだ。
そういうわけで、私が増やす方法は「買い集める」しかなくなった。最終的にリトープス丼が出来たら良いが、まだまだ先は遠いようだ。

話が逸れたが、初めてリトープスを買ったのは多肉歴2年目の秋だった。
宝石という見た目よりも、実のところ「脱皮する」というところに惹かれていた。今まで脱皮をする植物など知らなかったので、自分の目で見たくなっていたのだ。脱皮をするなんて、まるで爬虫類のようで面白いではないか。

前にも書いたが、私は爬虫類が好きだ。伊豆にある爬虫類の動物園イズーに行ってしまうくらい好きだ。しかし爬虫類を見るのは好きだが、飼うまでには至らない。生き物を飼うということは、相当の覚悟がいるものだ。
そういう意味ではリトープスを育てることも同じかもしれない。しかし、爬虫類を飼うより手間がかからないのも事実だ。そうは言っても多肉植物も生物だ。タニラーとして多肉を迎え入れるならば、彼らを守らなくてはならない。植物を育てることも動物同様、覚悟が必要なのかもしれない。少し神妙な面持ちになりつつも、リトープスを我が家に迎え入れたことにしたのだ。

ところでリトープスは冬型の多肉だ。秋から春に活動をし、夏が休眠期だ。
秋に花を咲かせ、冬から春にかけて脱皮をするらしい。我が家のリトープスは残念ながら花を咲かせることはなかったが、1月に入ると上部の割れ目が少しずつ開き始めた。割れ目を覗くと、既に新しい芽がスタンバイしていた。新芽がチラチラと見えことによって、ますます脱皮への期待が高まってきた。
是非とも見てみたかった脱皮が、いよいよスタートするのだ。
その姿はまるで額にある第三の目がゆっくり開いていくような、そんなグロテスクな姿であり、若干ホラーだった。

脱皮は、それはそれはゆっくりと進行していった。
マメでせっかちな人は少しイラつくかもしれない。リトープスの脱皮は完了するまで3ヵ月ほどかかったのだ。私のように呑気でズボラな性格が向いているかもしれない。たま~に様子を見るせいか、見るたび脱皮の進み具合が著しく進んでいるように見えたのだ。毎日多肉を観察をするのも良いが、こうしてたまに見るからこその感動もあるのだ。
我が家のリトープスは冬のコートを上からゆっくり脱ぐかのように、春にかけて脱皮していった。当たり前だが、脱いだコートはリトープスの足元に落ちた状態となった。私は本来、脱いだコートはすぐに片付けてしまいたいタイプだ。しかし脱皮した皮は本体とくっ付いており、無理やり剥がすと本体を傷つけてしまいそうだ。それが怖くて自然のままにしておくことを決めたが、何度も取りたい衝動にかられてしまい大いに困った。結局、無理やり剥がすことはしなかったので、秋口まで脱いだコートは足元に落ちたままの状態となった。何ともだらしがないが、仕方がない。これもリトープスのシステムなのだ。

話は変わるが、面白いことにリトープスの脱皮にも個性があった。
分厚いコートのリトープスもいれば、ペラペラもコートのリトープスもいた。これは種類が違うからだろうか?
また新芽が二つに分かれているものがいてビックリした。先に書いた分頭だ。当時の私はそんなことも知らなかったので、何かの突然変異でなったのではないか?と心配した。株分けも考えたが、下の方が繋がっていたので株分けは出来なかった。小心者なのだ。きっと胴切りも一生出来ないだろう。
今は夏なので脱皮はまだ先だが、日照不足のせいで今までにないような徒長しているリトープスが多い。かなり背高ノッポだ。今年の脱皮はどうなってしまうのだろう。最初は「ロングコートになるかな?」と呑気に考えていたが、あまりにも徒長しすぎた今、今年は脱皮できるか心配になってきた。

多肉歴5年目になっても、心配が尽きない。安定した多肉ライフは送れないのだな、まだまだ初心者なのだな、と再認識した夏となった。


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