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10年前の想い、今の想い

2011年3月11日。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。

10年前の今日、私は長年勤めていた広告代理店の大きな机で一人、間取りのイラストを書いていました。私の周りに誰も居ないのに、机が微かに揺れて、ペンがブレまくり…しかもずっと。
しばらくして、ようやく地震と気づきました。

ここ愛知は、確か震度3でした。阪神・淡路大震災の時も震度3。どちらの大地震も3という強さで感じています。しかし揺れ方は全く違いました。今まで感じたことがない、船酔いしそうな横揺れが長く…仕事中でしたが、すぐにテレビを付けました。その時の中継は、忘れることが出来ません。迫りくる津波。今まさに起きていること信じられなくて。そしてそれを誰も止めることが出来ない。止めることが出来るなら本当に止めたかった。
自然の力を、初めて怖いと思いました。

私はいつでも遠くから見ていた人間です。あの頃は、自分たちが普通に暮らしていることが、本当に申し訳なかった…。そう思った人は多かったと思います。私の周りは自粛自粛の嵐だったから。それは、少しでも寄り添えたらという気持ちからだったと思います。

当時、私には仙台のブログ友がいました。彼女の家のすぐ近くを流れる川まで津波が押し寄せたようですが、彼女は無事でした。
震災後、彼女はボランティア活動。自分も被災者でしたが、元気を与えてしました。少しエロ好きで、いつも悪ふざけしていたけど、とても明るく前向きでな女性だったので、(…らしいなぁ)と思ったものです。情けない話ですが、あの頃、被災者ではない私たちも元気を失くしていました。彼女はそんな私たちにも元気を分けてくれたのです。

その時、想像したんです。
もし、自分が被災者として。その辛さは想像でしか出来ないけど、絶望的な状況だとして。私なら、一緒に泣いてくれる人がいて欲しい。それと同時に元気をくれる人も欲しい。だって自分一人では絶対に笑えないと思うから。

だから、私たちまで元気をなくしてどうするんだ!と強く思いました。私たちまで笑顔を失くしてどうするのよ。元気な人まで元気を失くしたら、今、助けの必要な人たちを本当に助けれるのか?

10年前に、私が出した答えでした。

ここも東海地震・東南海地震・南海地震が起きると言われています。
生きてる間に起きるか謎ですが…。でも私は、仙台の彼女のような行動できる人間になりたい。10年経っても、変わらない想いです。


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