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樹海、再び。

3年ほど前(正確には2年10ヶ月前)の私は、長年連れ添った相方に振られてしまい、暗闇を彷徨っていた。
暗闇を彷徨うなんて大袈裟な!と思われるかもしれないが、本当にそうだったのだ。
どうにか暗闇から脱出したくて、小さな光だけを頼りに手探りをしていた。辛うじて確認できるのは自分の存在だった。

この頃の私を取り巻く感情は、この世の負の全てか?というものだった。怒り、悲しみ、嫉妬、嫌疑感、嫌悪感、虚無感、そして依存心。この状態から一刻も早く抜け出したい。

他人を許すには、自分を許す

そんな言葉から始まったのだろうか。自分と向き合う日々が始まった。その一つがこの『樹海で彷徨うのも悪くない』だった。
文を書くことで自分を知る。自分を愛して自分を許す。そして2年半後、ようやく元相方を許すことができた。
付き合いがムダに長く深かったから、本当に時間がかかった。
「私、お疲れ様!」である。

この経験で学んだことは、「自分を知ること」「自分を愛する」こと。
そして誰よりも「自分」が自分を一番愛し、信じているということ。
これらが生きる上で最強の武器になることだった。

失意のどん底に落ちたとしても、
這い上がるのは他の誰でもない自分なのだから。

あれから私は、好きなことをやって楽しく過ごしている。好きな音楽を聴き、好きなアニメを見て、やりたいことがあると迷わずやっている(お金があれば)。
元相方と暮らした日々は楽しく愉快なものではあったので、不必要な時間だったとは思っていない。しかし思い返せば、私がやりたいことの半分もやれてなかったし、何より「自分」がどういう人間か分かっていなかった。そういう意味でも別れて正解だったと思う。

そして今、新しい相方さんとお付き合いをしている。彼の年齢と私の年齢を他人が聞くと、「マジで有り得ん」と言われるくらい年の差がある。世間一般的には異端なものかもしれない。私も初めは戸惑ったが、数ヶ月たった今は普通になってしまった。私は思った以上に思考が柔らかいのかもしれない。相方さんは、元々そういう縛りが無い人だから、私を選んでくれたと思っている。
この歳でまた新しい経験をすることになった。しかし、人から何かを言われる恐れより、この経験に対する好奇心の方が上回っていたりする。

人生は経験だと思う。そして経験は、誰かと接してより深くなる。
今回の付き合いで何を感じて、何を得るのか。多少困難な経験をすればするほど、糧となることを知っている私は、わくわくしながら樹海をまた彷徨うのだ。