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「奴国」の地形と役割

本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形読み」によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。

「奴国」地形 … 「博多湾」を国内に交わる。

「狗邪韓国渡来人国(奴国、伊都国、末盧国、斯馬国、烏奴国、躬臣国)

「奴国(ナコク)」… 「音形」地形読み
〇「邪馬壱国」倭王国の「倭国」内になる「博多湾」を国内に集めて、「博多湾」面大地面の「伊都国、末盧国」と(筑紫平野内の)「烏奴国、躬臣国」も国内に交わる。

「奴国」… 役割
〇「邪馬壱国」倭王国の倭王権を立体内に(委譲されて)して「伊都国の糸島」内に集まった、
「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王(爾支、泄謨觚、柄渠觚を組織している)」の倭王権者を「奴国」体制内に交わる(保護する)。

※西暦57年に倭王権を身につけて「後漢」に遣いしたのが「奴国王」です。その時は,保護を通り越して(倭王権を)奪い獲りました。

その後、「邪馬壱国」倭国王体制に制圧されて倭王権を取り返され、金印と共に「志賀島」内に監禁されて死亡し、金印が「志賀島」内で発見されたかと考えます。

この事について、「志賀島」をネットで調べますと、「志賀、弘,勝馬」という集落があると書かれています。

「音形」読みして見ますと
〇志賀 … 「伊都国の糸島」で「邪馬壱国」倭王国の倭王権を代行した「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王」の代行倭王権を奪い,直接倭王権を振るったが、「邪馬壱国」体制に制圧されて「志賀島」内の「志賀」地区に拘束監禁された。

〇弘 … 「奴国王」を真似て「奴国王」協力の下に「伊都国、末盧国」が「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王」の倭王権を奪ったが、「邪馬壱国」体制に制圧されて「志賀島」の「弘」地区に拘束された。

〇勝馬 … 
(邪馬壱国の東隣になる 烏奴国、躬臣国が 卑弥呼の代変わり時に)
「卑弥呼」を伴って(伊都国の糸島内)「斯馬国・伊万里湾地区王」体制内に交わり、「斯馬国・伊万里湾地区王」体制内となった「卑弥呼」の倭王権を代行したが、「邪馬壱国」体制に制圧されて「勝馬」地区に拘束監禁された。

※この「烏奴国、躬臣国」の「邪馬壱国」倭王権時代(6代,於母陀流神=オモダルノカミ時代)に「倭女王国」と「狗奴国」の戦争が始まり、「狗奴国」体制が勝って、

新時代の「伊耶那岐命、伊邪那美命」の「子淡道之穂之狭別島」が生まれました。そして、「大八島国」が制定されました。

その後、「邪馬壱国」を後継した「台与」が、活躍して「狗奴国」内に「台与」体制の統一王権を築き、今福岡県となっている「狗奴国」の地に「京都(みやこ)」地名と「豊の国」伝承を残しました。

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