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年末の思考掃除

年をとったと思う。

理由は様々で、その一つに「揚げ物にうんざりしてきた」というものがある。
つい先日コメダのグラコロを食べたのだけれど、途中からなんとなく飽きてしまった。
油だ……と認識した頃にはもう終わりだと思った。「脂っこいものが食べられるのは若いうちだけだよ」という言葉が響く。その脂は揚げ物の油じゃないだろう、というのはさておき、こういうことか、と思わずにはいられなかった。

2022年はそういう年だった。

小さなことで年齢だとか、自分の成長であるとかをひしひしと感じて、同時に退化を感じた年だった。
自分が若いという免罪符をちぎられる日が来るとしたら、きっとそれはもうすぐ近くだと思う。いつの間にか退化している自分に気づかず、老いては唐突に免罪符がなくなったことに気づくのだろう。
そんな気がしてやまない。

甘いコーヒーを飲んで、のんびりしている暇はないのかもしれない。
でもわざわざ徒歩1時間程度の喫茶店に向かうのは結構好きだし、カロリーだとかを無視してそういう、のんびりとした、緩やかな日々を享受することだって責務だと思う。なんの責務かは知らない。多分、人生の責務。そういうものだと思う。

それで、暗い話になったわけだけれど、今年は同人誌を一種刷った。
一次創作は一旦の完結をさせて、人から感想をもらい、続きをじわじわ書いている。
賞にも応募をした。
結果はからっきしだったけれど、何かに向けて創作をするのは楽しい。脱稿じゃないけれど、応募のボタンを押し終わった時の解放感は素晴らしかった。全知全能の気分と恐怖が織り交ぜになって、ふわふわと空を飛んでしまいそうだった。いやラリってるんじゃないか、それ。

私生活は私生活で、ようやくまとまりを見せている。不安で寝れない日は少しずつ減っているし、食欲は低減しているけれど、まあ食べられる日が続いている。
健康第一! とは叫べない日々が続いている。でもなんとなく生きている。多分、そのくらいがちょうどいい。

それにしても、日記が上手く書けない(適当な無理〜だとか、生きてる! 程度しか書いていない)のに、こうした思考をこねくり回す文章は書けているのだから面白いな……と思った。余裕で1000字程度書くから面白い。この調子で小説も書きませんか?

とか書いている間に左手のジェルネイルがぺろん、とはがれてしまったので、きっと2022年はそういう年だったのだ、と思った。
来年も月一ぐらいで何か書き残せたらいいな。

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