書店にて思うこと

紀伊國屋書店新宿本店に行く。
本を買うのは、大抵はブックオフを散策して、
面白そうな本があったら買うということが多い。
定価とさほど変わらなかったら、
本屋に行って新本を買おうと思いつつ忘れることが大方である。

特定の本ならば、Amazonで買うことも多い。

今日は文庫本を買おうと本屋に行った。
文庫本ならば、ブックオフで買おうと本屋で買おうと
値段はさほど変わらないだろうと思ったからである。
ネットで注文して買う程の本でもない。

久々に紀伊國屋書店に行って、その本の多さに驚いた。
秋葉原のブックオフもかなり大きいがその比ではない。
やはり餅は餅屋、本屋は本屋だと思った。

文庫本は、小説を読むならば新潮文庫を優先している。
特に理由はないが、中学生の時からの習慣である。
子どもの時の近所の本屋で、
一番に文庫本が充実していたのが新潮文庫だったからかもしれない。
今日も新潮文庫のコーナーに行く。
中高生の時に読もうと思っていて未だ読んでいない往年の名著が並ぶ。
当時の事を思い出す。
Amazonで注文していたら、この感覚は味わえない。

ブックオフと本屋では、並んでいる本も違うような気がする。
古書店と本屋なのだから、当然と言えば当然である。

そしてある仮説が思い浮かんだ。
私がブックオフに本を売るとき、それは本が要らない時である。
本をせっせと溜め込んでいたら、本棚が2つでも足りなくなった。
読まない本は捨てたり売ることにした。
手放すときは感傷的になるが、
いざ無くなると有ったことすら忘れるものである。
つまりブックオフにあるのは誰かの要らない本である。
面白い本、役に立つ本ならば手元に残しておくはずである。
ブックオフにあるのは、実は、
つまらない本、役に立たないと判断された本なのではないか。
例えば、占いの本で言うと、当たらないと思われた本である。
加藤大岳の本がブックオフに並ぶ事は先ずないであろう。

もちろん誰かの要らないは、誰かの必要であるし、
気軽に読む本ならば特にこだわる必要はない。
ただ、ブックオフを中心の本巡りは改めることにした。

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