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英国式金管楽団独自曲事始 -その3

 1980年代に再発見された「ティドビル序曲」は、オペラ・カンタータ・オラトリオを含むシリアスな曲を書いていたジョセフ・パリーが1874年頃*1に作曲しました。この序曲がバンドマスター以外の作曲家がオールブラス編成用に作曲した最初の作品の一つであることは、間違いがありません。それはパーシー・フレッチャーの「労働と愛」の完成に先立つ事およそ40年ということになります。パリーとフレッチャーの間世代のクラシック音楽作曲家がオールブラス編成用の曲を発表しているのかについての情報はありませんが、すでに明らかにしてきたようにオールブラス・オリジナル曲はバンドマスターにより極めて大量に作曲されていました。
 *ティドビル序曲の音源はココをクリック

ティドビル序曲

ジョセフ・パリー

 ジョセフ・パリー(Joseph Parry 1841–1903)はウェールズのマーサー・ティドビルに生まれ、讃美歌「アベリストウィス(Aberystwyth)」の作曲で最も知られています。アベリストウィスは「マイファンウィ(Myfanwy)」と南アフリカと他4ヵ国の国歌「ンコシ・シケレル・アイアフリカ」の元曲となりました。

 パリーは13歳の時(1854年)に一家でアメリカ・ペンシルバニア州ダンビルに移住し父や兄と共に製鉄所で働きました。製鉄所が閉鎖されていた時期に音楽の基礎を学び始め、ウェールズ国立アイステッドフォッドで行われた作曲コンクールで入賞し、1868年には様々な援助を受けながらイギリスに戻り王立音楽アカデミーで3年間学びました。アメリカ・ダンビルで音楽学校を運営した後、1874年にはウェールズに戻り、アベリストウィス大学の初代音楽教授となり、1878年にはケンブリッジ大学で音楽博士号を取得しました。1880年にはアベリストウィス大学を辞しましたが、1888年から1903年に亡くなるまでウエールズに1883年に創立されたカーディフ大学に勤務しました。

 パリーは、歌曲、合唱曲、賛美歌、そして器楽曲を残しました。いくつかのオペラも作曲し、そのなかの「ブロドゥエン(Blodwen)1878年」は1896年までにおよそ500回上演されました。パリーの他の主要作品には、「サウル(Saul of Tarsus) 1892年」、カンタータ「ネブカドネザル(Nebuchadnezzar) 1884年」などがあります。

原譜の閲覧

 ウェールズ国立図書館(The National Library of Wales)では、「ティドビル序曲」のフルスコアを公開しています。それを見ると「英国式金管楽団独自曲事始」で記したAnthony Georgeの記述に基づく編成と原譜スコアには楽器編成に違いがありました。

ティドビル序曲の楽器編成
スコアの楽器編成箇所
  • この時代の「ビューグル」と言えば「キー・ビューグル」、D♭ピッコロも使われていた時代なのか、ソプラノ金管楽器はD♭管です。高音管楽器はD♭が通常だったのかもしれません。

  • B♭コルネットではなくA♭管コルネットが使われています。

  • バリトンが2パートありますが、ト音記号inB♭とヘ音記号inCで記譜されています。奏者に合わせて作曲されたと思われるので、これは奏者都合なのでしょうか。

  • トロンボーンが4パートでinCヘ音記号とハ音記号で記譜されています。2,3番トロンボーンがハ音記号なのはこれも奏者の都合なのでしょうか。

  • ユーフォニオンと記されています。

  • バスが2種類使われていますがどちらもinCヘ音記号で記譜されています。

パスパート
  • T Bassと読むのか、どのような楽器なのかが不明です。バスのもう1パートはE♭バスです。調が異なっていてもinCで記譜するのは現代に通じます。

  • 打楽器はバッテリーと記されていますが、演奏のための音符は全く記されていません。ちなみにバッテリーとは小太鼓・大太鼓・シンバルを一組としているということです。


パリーのサイン

ティドビル序曲のサイン
Overture inD majorのパリーのサイン

シファースファ・バンド

 「ティドビル序曲」はシファースファ・バンドのために作曲されましたが広く知られることなく1980年台までシファースファ・キャッスル・ミュージアムに保管されていました。
 シファースファ・バンドはウエールズのマーサー・ティドビルにあったシファースファ製鉄所の経営者クローシェイ家の私的バンドでした。トレバー・ハーバート氏によるとその演奏メンバーと指揮者は、ロンドンなど国内各地から招かれた優秀な人物でした。また、演奏曲の編曲はクローシェイ家所有地に居住するフランス人音楽家ジョージ・ダートニーが行うなど、印刷された楽譜を購入して演奏することはあっても、そのレパートリーは主にシファースファ・バンドのために編曲されたものでした。つまり、バンドの奏者一人ひとりを知った編曲家が奏者の演奏能力を十分に活かす楽曲編曲を行っていたということです。
 また、「ティドビル序曲」以外にもボウデン(G. C. Bawden)のシファースファ・キャスル・カドリール(Cyfarthfa Castle Quadrille) やアルバート(C. D' Albert)のラ・ペリ・ワルツ(La Peri Waltz)等、多数のバンドのために書かれた曲があると思われます。

シファースファ・キャスル博物館のパート譜

 シファーストファ・キャスル博物館で再発見された105冊のパート譜からわかるシファーストファ・バンドが演奏した曲。

Bシリーズ(シファースファ・キャスル博物館の105冊のパート譜)

B Series

Gシリーズ(シファースファ・キャスル博物館の105冊のパート譜)

G Series

Hシリーズ(シファースファ・キャスル博物館の105冊のパート譜)

H Series

I シリーズ(シファースファ・キャスル博物館の105冊のパート譜)

I Series

Jシリーズ(シファースファ・キャスル博物館の105冊のパート譜)

J Series

Lシリーズ(シファースファ・キャスル博物館の105冊のパート譜)

L Series



*1 リュック・フェルトメン(Luc Vertommen)氏はこの曲がパリーがアベリストウィス大学に勤務していた1874年から1880年の間に書かれたと推測しています。


英国式金管楽団独自曲事始  - その1
英国式金管楽団独自曲事始 - その2
英国式金管楽団独自曲事始 - その3

英国式金管楽団独自曲事始 - その4
英国式金管楽団独自曲事始 - その5


writer Hiraide Hsashi

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