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街の風景が変わるということ

生まれ育った町にUターンしてきて今年で6年目になる。

18歳まで育った町。大学進学とともに県外へ出た僕は、東京での銀行員生活を経て、30歳でこの町に帰ってきた。

6年前に久々に帰ってきて思ったのは、「思いのほか、町の機能が残っている!」ということだった。減ったとは言え、温泉施設も多く残っているし、ちょっとした買い物をする分には十分な規模のスーパーもある。

そのなかでも大きかったのは、駅前通りと幹線道路(国道3号線)の交差するところにある「みやうちデパート」の存在。

国道沿いに鹿児島市からこの町に向かう最後の峠を下ると一気に視界が開ける瞬間がある。そのタイミングで一番に目に入るのが、みやうちデパートだった。

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(写真は日置市観光協会HPより。子供の頃は「この白壁に映画とか映したら楽しいだろうなあ」などと妄想したのを覚えている。)

中学・高校の頃は「まちの大きなお店」という認識だったが、大人になって帰ってきてからは、買い物をしたり(確か今使っている礼服のネクタイはみやうちデパートで買った)、お店の方にヒアリングさせていただいたり、いろんなイベントで軒先をお借りしたりするなかで「お世話になってる宮内さんのところ」という認識に切り替わった。

社長の光一さんは、SNSを華麗に使い、店頭のガラスに町のいろんな重要事項を掲示したり、朝は子供たちを見守っていたり、とにかく街を愛し、街に愛される人だ。

そんなみやうち百貨店のFacebookページで、ある日、衝撃の投稿が。

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閉店のお知らせ。

ちょっと、にわかには信じがたいそのお知らせは、お店の皆さんの誠実さと街への愛と感謝が滲むだけに、言いようのない迫力をもって迫ってきた。

後頭部を鈍器で殴られたようなショックを感じた。

まちづくりを仕事にしてますなんて言えない

僕は、普段、ベンチャー企業の経営と、地方自治体向けの計画策定のお手伝いなどの仕事をしている。ほかにも、ラジオのMCをやったり、エアギターをやったり、いろんなことをやっている。

大きなくくりでは「まちづくりの人です」ということも少なくない。

県内では「まちづくりの専門家」と言われることもある。

そんな僕は、自分が住む町で、自分が小さいころからお世話になっているデパートの閉店を、ただただ隣で見ていることしかできなかった。

あまりにも、無力だった。

街ににぎわいを取り戻そうとイベントを企画したり、スタンプラリーを行ったり、メディアを連れてきたり、ソフト面でやれることはかなりやってきたと思う。

仲間も増えた。

実際に、少しずつ来客数は増えていると思う。

けれども、この町の産業構造を踏まえた根本的な打ち手は何一つはまらず、街の顔として50年以上踏ん張り続けてきたお店の苦しい最後を、ただ見ていることしかできなかった。

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閉店を聞いてから、何度も足を運ぼうと思いながら、光一さんとどんな話をすればよいかわからなくて、ついに閉店のその日を迎えてしまった。

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店頭には、大きく印字されたお別れSALEの文字。

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最後の最後まで町のために何ができるかを考えてる。光一さんっぽい。。。

店で光一さんと対面しても、なかなか言葉がでてこなかった。

最後、店の前でシャッターを下ろす光一さんは、泣いていた。

それを見て、僕も涙がとまらなかった。

悔しいですよね。

辛いですよね。

ああ、こうやって、街は一つの資産を失っていくのだなと思った。

後悔しないために。


街は、暮らしの集合体だ。

地方創生なんていうのは、都市から見た都合の良いイメージの押し付けだ。

自分たちの暮らしは、自分たちで守るしかない。

いつか手遅れだと思って後悔するくらいなら、今始めるしかない。

悔しいけれど、僕には店舗を運営したり、おいしい食事をつくったり、素敵な小物をつくったりしてこの町に貢献することは、できない。

では、自分には何ができるか。

必死に調べて、必死に考えて、できることを全部やるしかない。

そして、「ああ、あの時にもっと頑張っていれば」なんていう思いを、もう2度と抱きたくない。

光一さん、みやうち百貨店の皆さん、本当にお疲れさまでした。

53年間の長きにわたり、この町の顔として灯をともしていただいて、本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

気合を入れて、また今日から、頑張ります。


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