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挑戦の決意表明

2021年1月30日をもって、MBCラジオ RADIO BURN+を引退いたしました

私のライフワークといえるラジオ番組の降板の際、理由を申し上げることができなかったことを、まずお詫び申し上げます。

また、株式会社ecommit のブランド戦略部長、湯之元温泉株式会社の取締役広報部長の職も、1月末をもって辞することにいたしました。私事で各所に大変なご迷惑をおかけいたしますこと深くお詫び申し上げます。各団体でお世話になった皆様には変わらぬお付き合いのほど何卒よろしくお願いいたします。

一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Labの理事長職と、移住ドラフト会議を運営している九州地域間連携推進機構株式会社の代表取締役は3月末日をもって辞する予定です。それぞれ、後任者はすでに確定しておりますが、これはまた改めて発表させてください。


本日、鹿児島県庁記者クラブに対して、5月16日に行われる日置市長選挙への立候補を表明するご案内文書を発行しました。


37年間の人生で最大の挑戦に、いどみます。

本日は、その背景について、こちらに記します。

1.私と日置市

私は父が自衛官であった関係で出生後しばらく東京都立川の自衛隊官舎で過ごし、父の退官のタイミングで鹿児島県に移りました。1歳から日置市伊集院町で育ち、5歳の時に日置市東市来町に移り、そこから東市来幼稚園→鶴丸小学校→東市来中学校へと進学。

高校(鹿児島県立鶴丸高等学校)にも日置市から通いましたので、18歳で町を出るまでの期間、ずっと日置市の大人たちに見守られてきました。

雄大な景観を誇る江口浜。
いつも最高の癒しを与えてくれる湯之元温泉。
ライバルと厳しく競い合った伊集院総合運動公園陸上競技場。
などなど、思い出の地を上げるときりがありません。

高校卒業後に福岡に移り(九州大学法学部へ進学)、その後東京の銀行に就職してからは(日本政策投資銀行に入行)、遠くから想う対象となった日置市ですが、リーマンショックをきっかけに思うところあって帰郷し、2011年に一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Labを創業したのち、銀行に勤めていた妻の人事異動がきっかけとなって帰郷、少年期にお世話になった大人たちがいまに至るまで町の活性化に向けて頑張り続けていたことを改めて知りました。

2014年には、私も日置市東市来町湯之元温泉のまちづくりに参加。湯之元未来80人会議などのアドバイザーとして活動に入らせていただくとともに、若手・年配、様々な方々と対話の機会をいただくようになりました。

2.対話の力

2011年にTen-Labを作って以降、鹿児島県内各地のまちづくりに関わらせていただくようになりました。行政の皆さんや企業の皆さん、市民の皆さんと共に地域の未来を描く中で一つ一つの小さな挑戦が確実に町の未来を変える、そんな姿を目の当たりにしてきました。

一方で、挑戦する個人に対して、この世界を規定する様々な仕組みはまだ柔軟に対応できているとは言い難い面が多々あります。

人口減少に伴う小学校の統廃合や、自治会など地域コミュニティの衰退は、その中で暮らす一人ひとりの挑戦の可能性を少しずつ削っていきます。

行財政は年々厳しさを増し、これまでのように暮らしのインフラのすべてを行政が担うことは難しくなります。縮小する経済のなかで、幸せな暮らしを守るためのシビアな意思決定は今後ますます重要になっていきます。

「これをやります」「これを増やします」と言えていた時代から、「これをやるために、これを減らしましょう」と言わざるを得ない時代へ。

その転換のためには、痛みを伴う方針決定を地域の中で受け止めるだけの希望が必要です。

そして、希望は、対話の中にこそあると、私は考えています。

全方位で成長戦略を描けていた時代から、痛みを受け止めつつ、皆で希望の持てる未来を描く社会へ。

その大仕事が、まちづくりの世界に残された大切なテーマなのではないかと思うのです。

3.新型コロナウイルスによる分断を乗り越える

昨年から拡大している新型コロナウイルスは、地域コミュニティの分断を生み、地域経済を疲弊させ、医療機関の皆さんにも多大な負担が続いている状況です。

最優先すべきは、疲弊する地域経済の再生と、迅速なワクチン接種体制の構築、そして県・国と連携した対策の徹底。

そのうえで、コロナ後の社会を見据えて市民の皆さんがそれぞれの一歩を踏み出せる環境を整えることこそが、いま最も必要なことだと認識しています。

新型コロナウイルスは、我々の暮らしを強制的に、そして強烈に変えました。いまや、リモートワークはめずらしいものではなくなり、大企業の立地が首都圏に集積するのがあたりまえの時代ではなくなりました。

コロナ終息後、国と地方の在り方は確実に変わります。多くの人がライフスタイルに合わせて生き方や暮らしの拠点を選べる時代が来ます。自治体間の競争は熾烈を極め、変化の時代を生き残る市町村と、急激に人口減少が進む市町村の2極化は今以上に進みます。

そんなコロナ後の世界を生き抜くヒントは、挑戦の文化と、応援の文化にあると考えております。

4.全ての人が、自分らしく挑戦できるまちへ

思い返せば、私の人生は挑戦の連続でした。
東市来中学校に進学した13歳のころに陸上競技と出会い、日本一を目指して挑戦しました。全日本中学生陸上選手権に出場したものの準決勝で敗退し、日本一は成し遂げることはできませんでしたが、幼心に芽生えた挑戦心はそれから先の私の人生に大きな影響を与えています。

常に何かの目標に挑み、ときに負け、ときに勝ち、その時々に挑戦の中で多くの仲間と、自信と、経験を得てきました。

人は決してひとりでは挑戦できません。陸上の個人競技のような取り組みでも、多くの人の支えがなければ結果を得ることも、最初の一歩を踏み出すこともできないのです。

数多くの人が様々なことに挑戦してきたこの場所で、この地で受け継がれてきた思いを繋ぎ、新たな挑戦を生み出していきたい。

私は、日置市をだれもが挑戦できる場所にしたいのです。

そのためにまずは、自分自身が挑戦を続け、リスクをとり続けることを決意しました。

すべての挑戦には結果がでます。もちろんこのチャレンジに全力で挑みますが、思いが叶わなかったとしても、この挑戦自体が自分自身や、ともに戦ってくれる仲間たちにとって、ひいては日置市の大きな財産になる。

そう感じて、自分史上最大の挑戦を決めました。

5.どんな市政を目指したいか。

キーワードは「対話と挑戦」です。

対話を通して挑戦の種を育み、挑戦を通して対話の力を引き出す。

私は、「かごしま未来170人会議」や「九州移住ドラフト会議」「湯之元未来80人会議」などを通して、対話と挑戦を実践して参りました。

今回の挑戦についても、可能な限り皆さんとの対話を大切にし、目指す市政やマニフェストなどについては今後ネットや配布物、何より私自身が自分の声で日置市の皆さんに直接お話してお伝えして参ります。

新型コロナの影響で直接お話がしにくいという場合も想定されます、可能な限り顔を合わせて膝を突き合わせて納得行くまでお話させていただくことを希望していますが、それが叶わない場合は公式LINEやSNSなども使って、みなさんのお声を聞かせていただきつつ、私が目指す日置市の姿をお話させていただきたいと思います。

ここから100日ほど、何かとお騒がせすることと思いますが、ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

永山由高

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