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「違法とされた条例を見直すのが筋」なのか?

東京新聞の記事。東京新聞は、この件に関しておそらく他の新聞よりも当初から継続して取材を続けているとは思うが、この見出しだけを見ると、あたかも市の対応が人道的でないという方向に見えるような記事になっており、たいへん残念な気がする。

まず、原告の保護者の方は法廷での争いを選んだ時点で、保育園の施設利用を不可とした市の「処分」についての効力を争ったのであって、専決処分と条例自体の効力を争っていない(訴訟の中で「条例の制定処分」の取消を求めているけれども、却下されている)。したがって、仮に裁判で施設利用不可の処分が取り消されたとしても日本の裁判制度においては、効力は当該原告にしか及ばないことは明らかである。このことは、おそらく裁判を始める際に弁護士から伝えられているはずであって(それでなければおかしい)、もし、当初から「すべての住民に対して」効力が及ぶことを望んでいたとすれば、「取消訴訟」ではなくて、「直接請求(有権者の1/50の署名が必要)」で条例自体の廃止を求めるべきであった。しかし、取消訴訟を選んだのは、署名、期間、費用などの妥協的な理由があったと推測され、であるならば勝訴したとしても、その効力が原告にしか及ばない(原告のみが入園を許可される)ことは十分に想定できたはずである。

この記事がもう一つ曖昧にしているのは、判決は「条例そのものの違法性」についてはなんら言及していないということである。わざとミスリードを誘っているのかもしれないが、記事中見出しに「◆識者「違法とされた条例を見直すのが筋」とあり、「判決で『違法』『無効』と指摘」とだけ書いて、主語があいまいなことから、あたかも条例自体が違法であるかのような書き方だが、判決では、「専決処分が違法」であり、それに基づいて制定された条例については「無効」である、と述べているだけで、条例そのものの違法性については何ら言及がない。

この記事も、また、一部の小金井市議会議員が議会で述べている主張も、こうしたすり替えのような曖昧さによる主張で行政側の対応を非難しているが、まったく問題の解決に到らないのではないだろうか。

そもそも、この廃園条例自体は、専決処分の前の段階から議会の過半数が支持することが想定されており、新たに当選した新市長が「廃園条例の廃止条例案」を提出したにもかかわらず、否決した。今回、法廷において「専決が違法で、(条例が)無効である」とされた条例が依然として存在する事態はここから生じている。すなわち議会の過半数の「意思」は廃園にあり、条例が消え去っていないのだから、今回の「専決処分は違法で、条例は無効である」とう裁判所の判断について、議会自体がどのように説明をするのか、そして、それに決着を付けた上で、別問題としてあらためて小金井の公立保育園について、どのような方向性が望ましいのかを考えるのが求められていると思う。議会の責任(廃園条例に賛成する会派も反対する会派も)には誰も言及せず、各議員は無視を決め込んでいるように見える。

あらためてになるが、この記事はそうした経緯や手続き的論点をすべてごちゃまぜにした客観性に乏しい記事と感じる。


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