2023/01/11 危ういミニマリスト

昔からどうも違和感がある言葉の1つが「ミニマリスト」である。簡単に言えば、物を持たない人たちだ。物を持たないことを主張し、それをアピールする人々がいるのだが、こういう人の似通った雰囲気がどうも・・・金太郎飴を見ているよう不可思議だ。

この違和感はなんだろかと考えた時、そもそもいつから違和感を抱えるようになったのかと向き合った。すると、これは2020年代になってからだった。
2015年の少し前の頃は、Apple社の革新性がより強く押し出された年で、今以上に勢いがあったと思う。その頃のアップルのイメージを引き継いだのがミニマリストであると勝手に思っているのだが、要するにちょっと古いのかもしれない。
レトロフューチャーという言葉があるが、当時の最新鋭という感じ、それも自分が憧れた時をまざまざと思い出されるのである。もう少し時代が経ったら、2010年代のAppleもそのように形容される日が来るのかもしれない。新陳代謝が良すぎるのも考えものであります。

また、ネットを見ていると、ミニマリストは手段と目的を履き違えている人が多いのかな?と勝手に思っている。物を持たない生活は、何かの手段であるとおもっている。例えば、仕事をより効率化したいとか、気持ちをからっぽにしたいとか、掃除を楽にしたいとか・・・なんでもいい。
しかし、物を持たないことを目的とし、個数の制限を設け、挙げ句の果てに、ミニマリズムを体現するためのグッズを作ってしまう人たちは、「物、増やしているじゃん!」と突っ込みたくなる。それをビジネスとしているのだから、人様の商売にとやかく言うのは野暮なのだが気付いてしまう自分の性を責めるつもりは毛頭ない。

ところで、私の身近に引越しが趣味の人がいる。定期的に引越しをしたくなるようだ。僕には全くわからない感覚だが、世の中いろんな人がいるので。この人は、引越しを繰り返しているので、常に荷物が身軽なようだ。他の人が何日もかかる荷造りを1日で終えるようで、たしかに荷物は少ないように見受ける。それ故に、引越しはいつもいつもスルスルと終えるよう。
しかし、この人がミニマリストを自称し、それをアピールする姿を見たことがない。もっと他にやりたい事があるのはよく伝わる。それにミニマリスト特有の雰囲気も感じたことがない。むしろ、いろんな服を持っており、ファッションの引き出しも多い印象を受ける。

明らかに物が少ないはずなのに、ミニマリストと自称もせず、違う面を示していることを思うと、これが本当のミニマリストだよねと思う。思考も研ぎ澄まそうとしていることも伝わるし、そういう人の言動にはいつもワクワクする。
物を持たないことのメリットは享受しつつも、他にやりたいことや趣味嗜好が先立っていることが大切だろう。ちゃんと物を持たない事を手段としており、また、無理なキャラ付けをしていないことが好感なんだよな。

斯くいう僕も、少し物を手離す事に意識を置きがちなところがある。物を手離すと気持ちがスッキリするのだが、それは一時的なものに過ぎない。ストレス発散で物を捨てるのだが、捨てるものがなくなると捨てるものが欲しくなるという気色悪い状況になる。
靴磨きもそうで、磨きたいがために靴を増やすこともしばしば。つまり、手段と目的が入れ替わったり、分からなくなることは日常茶飯事だ。

いつか本も手離すことができるのだろうか。知識を手離したくなることもあるのだろうか。物だけでなく、目に見えないことも手離したくなるのだろうか。それならば、何のために。そんな自分と出会うことを今から楽しみにしているのです。

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