”推し”という言葉 #美しい日本語を取り戻そう
最近、”推し”という言葉、耳にする人も多いかと思います。
好きなモノやヒトなど、幅広く使えるこの言葉。
使い勝手も語呂も良く、流行るのも納得の言葉ですね。
しかも、このコロナ過でオウチ時間が増え、新たなジャンルに手を出したりする人が増えた結果、”推し”に出会う数も増えたことが大きな要因だと思います。
いわゆるオタクと呼ばれる人たちは、この言葉が世間に広まる前から”推し”という言葉を日常的に使っていました。
オタクに片足突っ込んでいる僕も馴染み深い言葉です。
僕にも”推し”はいます。
ですが、”推し”という言葉自体はあまり好きではありません。
以前よりなんとなく好きではありませんでしたが、今回はそのなんとなくを掘り下げていこうと思います。
”推し”を実用日本語表現辞典で調べてみると
人やモノを薦めること、最も評価したい・応援したい対象として挙げること、または、そうした評価の対象となる人やモノなどを意味する表現。
だそうです。
調べてみて、まあそうだろうなという結果でした(笑)
ここからは個人的な考えや感覚になるのですが、
”推し”ってなんとなく上からな気がするんですよね。
「僕はこれが良いと思うから他の人にもおススメしたい。」
「このグループではこの子が一番良いと思う。」
推しって上のような感覚なんですが、応援しているというよりも、評価しているような気がしてしまうんです。
そりゃ好きだったら他の人にオススメしたくなるとは思いますが、どこか違和感が拭えないままです。
では、”推し”ではなく”推す”という言葉はどういう意味なのでしょうか。
1 人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。
2 あることを根拠として、他のことを判断する。推し量る。
3 さらに突き詰めて考える。
デジタル大辞泉にはこう書いてありました。
これだ。違和感の原因は。
”推し”の原型、”推す”という言葉には好きや愛、応援などという意味はないのです!!
(推薦するが応援するに似ていなくもない気もしますが。)
つまり、”推し”という言葉の意味としては良いとは思うけど、好きかどうかは別問題ということなのではないでしょうか。
学級委員長の推薦とかも、好きじゃないけどこいつなら出来るだろうみたいなパターンもあったかと思います。
「こいつの人間性マジで好きだから委員長やってほしい!」ってパターンは”推し”ではなく”好き”で、好きという気持ちが大きくなって、推薦しているというパターンかなと勝手に解釈しております。
もちろん、時代の流れと共に言葉の意味が変わることなんていくらでもありますが、僕の中では”推し”という言葉に違和感を感じずにはいられません。
”推し”じゃなくて”好き”でよくない??
というのが僕の考えです。
今や、ネット用語が日常に溢れていて、どこか汚いというか、下品というか、知性や品性に欠ける言葉が多く存在している気がします。
(知性が高すぎて生まれた言葉もありますが)
日本語には一文字でたくさんの意味を持つ言葉がとても多くあります。
また、響きや見た目が美しいなどの理由から僕は日本語が好きです。
(詳しいわけでも語彙が豊富なわけでもありませんが。)
ですが、そんな美しい日本語がだんだん汚れていっているような、そんな気がしております。
たくさんの意味を持つ言語だからこそ、ひとつひとつの言葉の意味を考えて発言や発信していきたいですね。(大ブーメラン)
#美しい日本語を取り戻そう
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