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「作る人雑談会night」に参加して、自分がものを書く理由を考えた

ここのところ忙しくなってきているところはありますが、VRSNSの可能性を模索する遍歴は細々と続いています(過去の遍歴については、以下のnoteにまとめています)。


毎週日曜の #ラジオ好き集まれ集会 の時間は確保するようにしていますが、他で参加するものも、少人数でじっくり語り合うイベントばかりになってきています。


昨夜は「納豆うめえ」さんという方が開催された「作る人雑談会night」という15人程度のイベントに参加しました。


参加者は、小説、イラスト、漫画、アバターモデリング、フラワースタンド、メディアでの番組作り、など様々な創作活動をされている方々が集いました。
トークテーマは、「自分が世界で一人だけになっても創作活動は続けるか」。
参加者の皆さんからは、以下のような意見が出ました。

・創作活動が、今やっている中で一番楽しい活動だから、引き続きやる。
・自分の創作活動は「仮想敵」というか、他者に向けてやるものだから、やらない。
・私の一番の読者は私で、私の読みたいものを作っているから、私だけになっても作る。
・私の専門は数学で、数学の世界では一般的に感覚的なことを言わないものだけれど、自分は感覚でとらえる部分があり、思いを言語に落とし込もうとこねくり回し、他の人の解釈を自分に飲み込み直すところが創作的だと感じているので、一人になっても創作はしていると思う。
・自分は小説を書くが、最初から一人なら創作していないと思う。創作は模倣、憧れから。刺激があってから始まるものなので。
・作りたいという好奇心で、番組を作っている。自分だけでもやるかもしれないが、社会があっての自分なので、難しい質問だ。
・手を動かすのが大好きで、一人になっても動くものを作るのは楽しみではあるが、絵は描かなくなるかもしれない。自分は、ネットゲームの友人のことを絵にしたかった。つまり、他者との交流の記録としての絵なので、他者との交流がなくなると、見返すこともしないかな、と思うので。
・内向きの気持ちで描いているから、一人だけになっても描くのでは、と思う。
・工夫することに自分を見出すので、作るのではないか。
・最初は作り始めるが、途中でやめそう。自分が書きたいものを書いているから、人がいなくなっても続いていくとは思うが、それが継続するには、人に見られることが大事。TwitterでもRTなど、自己肯定感を上げることで継続への意欲が出るので。
・自作アバターが名刺に。2年前にVRChatを始めた頃は販売アバターというものがなかったが、今は自作アバターが名刺代わりという部分がある。それでアバターを作ったが、作ることで目標を達成してしまったところがあり、今は正直、どうしたら良いのかな、という状態になっている。

まとめると、創作活動を通じて他者とのコミュニケーションを重視する人は創作活動をやめるかもしれないけれど、内面的というか、自分のために創作活動をしている人は続けるかも、という形となりました。
また、ここに集まった人で何か作れるかも、という意見も出ていて、面白かったです。

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私は、と言うと、noteなりfacebookなりに文書を書く際は、「仮想敵」とはちょっと違うものの、具体的な特定の人のケースもTwitterでたまたま投稿を目にした見知らぬ人のケースもありますが、同じ意見なり違う考え方なりを持つ人を念頭に、「この人が、自分のこの投稿を読んだら、どういう反応をしてくれるだろうか」ということを想定しながら書いているところがあります。
その一方で、自分が何かを書いている際は、書くことを通じて自分の考えをまとめ、「自分は世界を、現在の状況を、このように切り取って認識している」というのを自覚し、再認識するために書いている部分があります。
なので、世界で他に人がいなくなっても、そうなった世界を自分で切り取り、認識するための手段として、何かを書く形になるのでは、と思いました。

#VRChat なり #RecRoom なり #cluster なりVRSNSの世界に入って思うのは、プロとしてやりたいかやりたくないかは別として本当に、「何かを作りたい」と考えている人たちが多い、ということ。
村上春樹がよく「小確幸」(小さくても確かな幸せ)という表現を使いますが、個々人のささやかな創作活動の幸せが尊重される世界は大切で、この先、VRSNSがどのような変化を遂げようとも残って欲しい世界観だな、と思いました。

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