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下山事件のひとつの仮説に戸惑う


『下山事件 最後の証言』
柴田哲孝著
2005年
祥伝社

 下山事件についての「他殺説」に基づくルポルタージュ。

 著者が大叔母から聞いた「兄が下山事件の関係者かもしれない」という話から、祖父の戦中戦後の経歴が気になって調べていくうちに、祖父が満州の特務機関員であったこと、戦後の謀略機関の影の長と噂された、元特務機関長の矢板玄の部下だったということがわかる。

 著者は下山事件の真相を確かめるべく、矢板市に赴き、矢板玄にインタビューを申し込む。

 この本のいちばんのハイライトが矢板玄の証言になるわけだが、これがどうも、にわかに信じがたい内容でどうなのだろうかと思う。

 この証言によると、下山総裁は「殺された」ことになり、M資金も実在したし、GHQのキャノン機関も存在したということになる。松本清張とか多くの人が追い続けた「日本の黒い霧」が、このインタビューでかなり明らかになったことになる。

 著者が矢板玄にインタビューしたとされるのが、1992年2月、矢板玄が死亡したのが1998年、本が出版されたのが2005年。

 つまり、矢板の死後に出版されている。
 インタビューの記述では、メモに記述の形でこの膨大なインタビューを記録したとなっている。
 インタビューをとった室内は、薄暗かったと著者は書いている。そのなかで、メモ書きで記録するという記述は気になるし、3時間ものインタビュー、録音を録るのが普通ではないか?

 私ごとになるが、1982年の時点でも、作曲家の伊福部昭氏にインタビューをした時、わたしはマイクロカセットレコーダーで録音して、後から書き起こした。
 1992年ではもっと小型で高性能な録音機があったはずだし、録音しないわけがない。

 つまり、この本の内容の信憑性で気になるのは、全てにおいてはっきりと裏付けられるエビデンスがなにも残されていないことだ。

 著者は矢板玄に会ったのかもしれないが、インタビューの内容を証明する裏付けがなにも残されていないのは疑問に感じる。

 そして、鍵となる祖父が英語で書いていたという矢板玄の秘密機関の母体となっていたとされる「亜細亜産業」での就労時代の日記も、祖母が祖父の死後、焼却していて、日記も存在したかどうかわからないし、その内容も著者は読んではいないのだ。

 この本の内容でいけば、下山総裁はドッジライン達成のための国労10万人人員整理のために、GHQと元特務機関員たちが、下山を殺して左派の仕業のような印象を大衆に与えるという謀略はあったということになる。

 矢田喜久雄の『謀殺下山事件』の筋書きで、矢田が推理した犯人グループの特定をしたという内容になる。

 この本のわたしの印象は、自殺説と他殺説が相対する「下山事件」がもうUFOと宇宙人の存在をめぐる「ロズウェル事件」並のものなった印象と思えて仕方がない。

 ネット上ではこの本を一級の歴史書と言っている人が多く、信じている人も多い様だが、一次史料がなにもない以上、歴史書とするのは無理があるのではないか?

 結局、真相を追及した本でもなければ、曖昧なままであると思う。

 アメリカの公文書館が開示した資料や当時、捜査担当だった元刑事、平塚八兵衛らの証言によって、現在では下山事件は「自殺説」が法医学的にも優勢になっている。

 松川事件の元被告で、松本清張や広津和郎らと下山事件を米の謀略事件として「他殺説」を検証し支持していた、佐藤 一も再検証で「自殺説」へ修正を図っている。

 新資料の登場や、新たな科学的検証といった、そうしたことも、また捏造であるとか、闇の組織によって軌道修正させられているのだとか言い出すのが陰謀論が延々と続いてゆく遠因だろう。

 本書は松本清張の『日本の黒い霧』に始まる陰謀論を補強する一つと、わたしには見えて仕方がない。

「下山事件」をめぐる「他殺説」が依然として世間で人気があるのは、とりもなおさず陰謀論というものに対する抗いがたい魅力の所以だろう。

 かく言う私も『日本の黒い霧』が真実であると、信じていた一人だった。


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