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戦争映画エッセイ:『シベリア超特急』名探偵?迷探偵?山下将軍❗️

1996年の映画

まさに❗️迷作である‼️

 水野晴夫が制作、原作、脚本、監督、出演をしたワンマン映画『シベリア超特急』は映画として評価する以前の作品であることは誰もが知っている。

 第二次世界大戦中、欧州を訪問した山下奉文大将が、日本に帰還するため乗り込んだシベリア超特急の中で殺人事件が起こり、その犯人を突き止めるべく山下将軍の推理が始まるという荒唐無稽な物語。

 なぜ山下将軍かというと、水野晴郎は1992年の日活創立80周年記念作品『落陽』で、山下奉文大将を演じているからである。この時のキャスティングはただ風貌が似ているというだけの理由での起用だったが、演技が全くできない素人であった水野の出演場面はひどく、しかも殆ど山下大将の登場シーンは映画の上で必然性のないものだった。この時に山下将軍の副官を演じたのは水野の弟子で俳優だった西田和昭だった。
 アメリカでの公開時にはこの水野二箇所の出演シーンはカットされている。元々、なんの必然性もない登場人物であったのも確かだ。
 元々、制服マニアだった水野はこの山下将軍の役を大そう気に入ったようで、自ら制作する映画に出演して演じる役も山下将軍になった。
 『シベリア超特急』では水野の山下、西田の副官(佐伯大尉)というキャスティングで、これは『落陽』のそれであった。
 名探偵ポアロ級の探偵を登場させるという着想の上で、自分が出演するなら山下将軍だということだろうか。

 さて、もうどうでもいいくらいにいい加減な映画だが、みうらじゅんがこの映画を取り上げ、一定数の映画ファンの間で知られるようになった。
 
 列車の中が舞台なのに、まるで部屋のように全く揺れていないという車中の演出、水野の演技の下手さが他の共演者の普通の演技を際立ててしまい、観るものに異様な違和感をもたらしたり、もうこれは映画と呼ぶには映画の神様に申し訳ないような作品である。

 水野は山下将軍を演出するにあたってよくわからないイメージを作ってしまっている。
特急列車に乗り込んだ山下は車中の部屋で椅子に座っているのだが、腕組みをして目を閉じてじっとしている。
 観ていた私は、てっきり寝ているのかと思ったが、実は耳を澄ませて周囲の会話などを聞いており、突然、そのままの姿勢と状態で話し始めたりする。
 
お、起きてたのか?!と思わせるわけだが、映画はそういうくだらない感心を鑑賞者にさせてはならないのは周知の通りである。

 水野は山下将軍の威厳とか権威を演出したのだろうが、寝てもいないのに黙って目を閉じて腕組みしてじっとしている人物、しかもじっと聞き耳を立てて周囲の様子を伺っているなどあり得ない。こんな人がいたらお付き合いは御免被りたいものだ。

 この山下将軍が後半の謎解きになると突然、饒舌になる。まさに水を得た魚である。ここはもう山下将軍ではなく、軍服を着た水野晴郎となる。
 この一貫性のない人物造形の破綻はこの映画全体像をよく示している。
 水野以外の登場人物は俳優個々によってどうにかキャラクターを維持しているが、水野の山下将軍が登場するや、その演技のあまりのひどさに他の俳優たちの演技が突然、極上の大芝居になってしまう。
 水野の演技の不味さと、大真面目な俳優たちの演技が奇妙な不協和音を発して失笑してしまう。
 結局、この映画の最大の失敗は水野晴郎が出演したということであるが、水野晴郎が出演しなければ『シベリア超特急』にはならないという、なんとも皮肉な調和で成立している。

 この映画の上映会で、ラストの山下将軍のセリフ「戦争は絶対してはいかん!」というところで、観客の女子大生が爆笑した。
 水野はすかさず「これは笑うようなセリフではない、感動するところだ」と女子大生に怒ったという。
 女子大生は水野の演技の下手さに爆笑したのに、水野はセリフを笑ったと思ったのであった。

 『シベリア超特急』の作り手と観客の関係、この映画がどのような性質であるかは、このエピソードが雄弁に物語っている。

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