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交通戦争と怪獣!やめてけれジコジコ!


ブルマァク製の高原竜ヒドラのソフビ人形

 1970年の2月に発売されて、大ヒットしたコミックソングがあって、その名も「老人と子供のポルカ」という。
 黒澤明の映画で名バイプレーヤーぶりを発揮した俳優の左卜全と「ひまわりキャンディーズ」ちう少女コーラスが歌う奇妙な歌だ。

 内容は老人と子供が現代社会の三つの問題にプロテストするというもの。

 1番が「やめてけれゲバゲバ」
 2番が「やめてけれジコジコ」
 3番が「やめてけれストスト」

というフレーズがサビになる。

 ゲバゲバはドイツ語のGewalt つまり暴力。
 ゲバという言葉は当時は学生運動におけるゲバルトを指している。
 つまりは学生運動での騒乱をやめてけれというわけだ。

3番のストストはゲネラルストライキを意味していて、おそらくは公共交通機関がストライキで麻痺させることをやめてけれなのだろう。

 問題は2番のジコジコだが、これは交通事故の事故の意味だ。
 今の時代から見るとなんとも奇妙な感じだが、この歌がリリースされた1970年は交通事故がもっとも深刻になった年でもあった。
 高度経済成長でマイカーブームが到来、自動車輸送は物流は鉄道と並んで自動車輸送も最盛期を迎えていた。
そのなかで、交通事故が多発することになった。

 自動車が増えたということだけでなく、交通の関する整備、信号機であるとか、ガードレールであるとか、舗装道路であるとか、そうした設備も急激な自動車とドライバーの増加についてゆけていない状態だった。

 そして、1970年は交通事故件数と、交通事故死者数がもっともピークを記録する都市となった。
 交通事故の死者数が前年の1万6257人を超える1万6765人に達し、交通事故発生件数は71万8080にまで上った。

 まさに文字通りの交通戦争である。
 当時、交通事故の犠牲になるのは子どもたちももちろん多かったわけで、交通戦争の問題は大人の社会問題だけにとどまらない。

 蓬萊泰三作詞、南安雄作曲による、合唱組曲
「こどものための合唱組曲『チコタン ぼくのお嫁さん』」が誕生したのも交通戦争の真只中の1969年だった。
 黄色い旗を握りしめたまま横断歩道で交通事故死する児童という衝撃的な展開をもったこの歌曲も交通戦争の時代の児童文化の一つだろう。

 特撮ものや怪獣ものも子ども文化であった以上、交通戦争とは無縁ではなかった。
子どもと交通戦争をテーマにした物語で記憶に残っているのは、1967年、ウルトラマン第20話「恐怖のルート87」だ。

 ダンプカーにひき逃げされて落命した少年の車への怨念が、彼が生前に描いた怪獣ヒドラにの移り、出現した怪獣ヒドラが国道97号線の自動車を手当たり次第に襲うという物語だ。 高原竜ヒドラとウルトラマンは最後に戦うことになるのだが、逃走するヒドラの背中に少年の霊の姿を見たウルトラマンはヒドラにトドメを刺さない。

 交通戦争への復讐鬼となったヒドラは罪のあるものもないものも手当たり次第に襲うのは、いかがなものかと思うわけだが、ウルトラマンの心は交通戦争の被害者である少年に寄り添っている。

 自動車という道具とそれを操作する人間。
 そこに殺意がないだけでに戦争というには悲劇的な交通戦争。

 1970年に道路交通基本法が制定されて、交通戦争の抑え込みに政府も乗り出したが、翌年の1971年も交通事故死者数は1万6278人と前年に比べてまずかにしか減少しなかった。
 
 その1971年に交通戦争が生んだ怪獣が再び登場した。

 後に『スペクトルマン』とタイトルが変更となるピープロ制作の特撮ヒーローもの『宇宙猿人ゴリ』に登場したクルマニクラスだ。

マスダヤ製のクルマニクラスのソフビ
本来は交通安全のタスキが付いていた

 やはり交通事故で非業の死を遂げた子どもの怨念が怪獣になったという設定で、そのデザインは抽象的なアートのようなものとなり、交通戦争の恐怖を具現化したような不気味な姿だった。

横断歩道や痛々しいタイヤ痕がモチーフになっている

 自動車を運転するのは大人であり、子供は運転ができない。 つまりは子どもは交通戦争の犠牲者であり続ける。決して加害者にはなり得ない存在であったのだ。 もっとも交通戦争にプロテストする立場として、説得力を持っていたのは子どもたちだったろう。

 怪獣という姿を借りて、子どもの世界から交通戦争を痛烈に批判していたのは、交通戦争の加害の側になんらかの形で与していた大人である。

 これは子どもを題材とした戦争映画を作る大人たちの図式ともまた似ている。
 そうした矛盾を抱えながらも、怪獣は交通戦争と戦っていた。

 交通戦争は過去のものもとなったであろうか?

 子どもにとって今なお、交通戦争は脅威である。
 ヒドラやクルマニクラスは、過去のものではない。

 戦争と名の付くものは人間位よって創出された。ならば人間によって、それは治められるはずである。

 第二のヒドラやクルマニクラスが出現しない世界を創ることは、わたしたちの責務なのであるのかもしれない。


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