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母の味覚の変化(認知症が進んでいた)

母の味覚がおかしくなったのは60代か70代だったかもう覚えていません・・・

そのころは父もまだいて、私が食事を作っても「なんか味おかしくない?」とすぐにウスターソースをかけていました。

せっかく作ったのに!
と無言で食べる私。
父は間に挟まれて適当に相槌。
毎回嫌な気分で食事をしていました。
嫌なら一緒に食べなきゃいいじゃない?って思うかもしれませんが、年老いた両親といつまで食べれるか?と思うと、嫌でも一緒に、の選択肢しかなかったです。

ある時から、これはポン酢では?って思うときに「味がおかしいからソースかけよう」ということがちらほらありました。
一番多かったのは餃子。

餃子にソース?
いままで餃子買ったときについてくるポン酢使ってたのに・・・

その後も今となっては記憶があいまいですが、肉じゃがや刺身もソースだったような。

なんかおかしい

餃子は母が好きだったのでよく買いに行ってました。

都度ソースで食べるので、思い切って聞いたら「ソースが好き」とかそんな理由で・・・そうなんだって思いましたが、これ「とりつくろい」でした。
認知症にありがちな行為「とりつくろい」

ごはんも冷や飯。
チンしない。
なんで?って聞いたら「冷たいのが好き」
でた
二言目には「〇のが好き」

そうこうしていたら父が亡くなり。

母が一人で生活するようになりました。
しかし、母を心配した父が、父の姉に「一緒に生活してやって欲しい」とお願いしていたので、母とおばは同居することになりました。
お世話してくれる人ができたわけです。

おばは障がい者施設で働いていたので、人に尽くすのが好きなようで・・・喜んで世話をしていましたが、おばのほうが年上。
だんだん「世話してもらって当たり前」が嫌になってきたようでしたが、おばも引き受けた手前、自分の体がもつまでは・・・と頑張っていましたが「今日はこれ?ま、大しておいしくないけど食べましょうか?」と。
そんなこと作ってもらって言う?と思いましたが、一事が万事。
言ってはいけないことも言ってしまうのでしょうね。
おばも「すみませんね、大したことなくて!」とか嫌味返したりしてましたが、寄る年波には勝てず。
昨年他界。

また私が食事を作るようになりました。

相変わらずソースの減りが早い。

なぜかさとうのごはんを好んで食べる。
ご飯炊いてるのに・・・
時々誰かが段ボールでさとうのごはんを運んでくる・・・
多分定価で買ってるんだろうな・・・
私が買ってくると嫌がる・・・
運んでくる人との交流が欲しいのでしょう。
しかたない、安く買うのは諦めよう。

私はソース一年に一本も小さいサイズ使い切れず・・・何年前の?って感じですが、母は「もうない」。

認知症になると味覚もおかしくなるから、って何かで調べてましたが、実際母がそんなことになってるのを認めた苦も無く、祖父母も認知症だったから、母もそうなっても仕方ないな、というのもアリ。
目を背けていました。

今さら薬飲んでも変わらないだろうし、何より本人が認めたくない、私は違うと・・・何度か物忘れ外来に連れていきましたが、認知症と認定してもらうまでの程度ではない、ってことに落ち着いていました。
時々それが原因で喧嘩、激怒ということがあったので、言わないほうが幸せ、なんだろうと。

最近の口癖はご多分に漏れず「早く死にたい」です(笑)

そういいながらせっせと薬を飲んでいます。

好きなことしておいしいもの食べて元気で過ごしてくれたらいいです。




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