見出し画像

複雑性PTSDと自傷のこと。


わたしは1年近く大きな精神科の病院に通い
精神科界隈では有名な先生に診てもらっている。

わたしはその主治医のことを
いまでは心から信頼し
何でも話すし、何でも相談している。

投薬治療にあまり前向きでなかった主治医に
いまの思いを伝えて
薬のチカラも借りたい、というわたしの思いを汲んで
処方してくれるようになったのも
いまの関係ゆえだと思っている。

前の病院では一度も告げられなかった病名。
それを
「あなたはこれだと思う」
と時折話してくれることも
信頼に繋がっている。

いまある診断名(病名)は
○複雑性PTSD
○うつ病
○摂食障害
このみっつ。

今日のブログでは
その中の複雑性PTSDと、それによって引き起こされている自傷(摂食障害も含む)について書きたい。

なぜ書こうと思ったのか。
それは
PTSDより認知度の低い“複雑性PTSD”を知ってほしいということと
リストカットや過量服薬、摂食障害が対処行動のひとつだ、ということをひとりでも多くの人に知ってほしいから。
たしかにそれらの対処行動は時に命に関わることもある。だからやめろ、と言う人もいる。
でもそれは死を引き寄せつつも、いまこの瞬間は生き延びるために必要なことで
それらの対処行動によって生き延びつつ
そのあいだに、もう少し安全な対処行動を探すことが、最善なのではないだろうか。

複雑性PTSD

複雑性PTSDとは
国立精神・神経医療研究センター病院のホームページにはこう書いてある。

複雑性PTSDは、持続的な虐待やドメスティック・バイオレンスなどのトラウマ体験をきっかけとして発症し、PTSDの主要症状(フラッシュバックや悪夢、過剰な警戒心など)に加えて、感情の調整や対人関係に困難がある等の症状を伴います。こうした症状により日常生活や社会生活上に大きな支障をきたす精神疾患です。通常のPTSDに比べて、日常生活や社会生活の支障がより大きく、併存疾患も多いことが分かっています。
国立精神・神経医療研究センター病院ホームページ

わたしの場合は
複数の性被害による影響を
今でも受け続けている。

日常にたくさんのトリガーがあり
ふとした瞬間にフラッシュバックが引き起こされる。

フラッシュバックは希死念慮を引き起こすため
死なないための対処行動として
リストカット
OD
過食嘔吐(摂食障害のうちのひとつ)
などが何年もやめられずにいる。

トリガーのせいで
苦手な場所や香り、音楽、言語、性別、などがあり
それらは時に
人とのコミニケーションを困難にする。

フラッシュバックは突然起こり
その瞬間だけの時もあれば
長期的に続くこともあり
精神のバランスを簡単に崩してしまい
それが
自傷行為の悪化にも繋がりやすい。

感情の揺れ動きが激しく
楽しい、と死にたい、の間を数分単位で揺れ動くことや
楽しい時間を過ごせても、それからものの数分で不安感や死にたさに襲われ、苦しい時間へと変わることもある。

またわたしの場合は
足のむずむず感や、生理によってバランスを崩す
などの一見、PTSDと関係なさそうな症状もある。
( 主治医にPTSDの患者に多い症状だと指摘された )

そして、複雑性PTSDには
これといった治療薬がないため
劇的に良くなる、ということがない。
薬もあれこれ試してみて合うものを探す
という状態で
わたしは、前述した「薬のチカラも借りる」と主治医と話し合って決めてから2ヶ月ほど
ひたすらいろんな薬を試したり、量を調整したり、、
ワイパックスは定時薬で安定したけど
それ以外の薬は定まっていない。
(ここ最近だとコントミン、ロナセンなどを試した)
いつか、PTSDによく効く薬は開発されるのかな。

それではここから
自傷について
それぞれがわたしにとってどんな役割があって
どんなものだと認識しているのか
ということについて書いてみようと思う。


リストカット

わたしのリストカット歴は長い。
高1(2010年)だから、10年以上になる。
その間に使うものは
ハサミからカッターに変わり
皮膚科を受診するほどでない傷から
皮膚科での処置が必要になり
今では形成外科での縫合が必須になっている。
リストカットには
その時の精神状態がよく表れると思う。
希死念慮が常に消えないような時には
傷の本数は10本以上になり
予約枠の1時間以内に終わらせるために
先生2人がかりで縫合してもらったこともある。
逆に心が比較的安定していると
傷の本数は数本程度におさまるし
深さもそこまででもない。

だから、縫合してもらっている「きずときずあとのクリニック豊洲院」でも
傷を見て、本数が多いと、「何かあった?」とよく聞かれる。
心の状態が分かりやすくて
病院では、気づいてもらえてとてもありがたい。
いつも本数なんて自分では数えなくて
病院で言ってるのを聞いて知るくらいだし
意識して切ってることはないけど
精神面と傷の数が比例することだけは
間違いないと思う。

1年ほど前には
リストカットによって貧血になり
輸血をしたこともある。
ヘモグロビンが4.7まで落ちていて
息苦しさや頭痛、本当に大変だった。

でもそんな状況でも
本来、輸血というのはオペとか、事故とか
処置のために必要があってするか
不慮の予期せぬ出来事が起きた時に使うのであって
自傷という、故意に招いた状況に使っていいのか
わたしの命にそんな価値はあるのか
献血をしてくれた人はそんな使われ方をして喜ぶのか
いろいろ考えた。

だけど、輸血を受けてくれた病院の看護師さんたちが
本当に優しく対応してくれて
この輸血のことを当時知っていたまわりの友人知人からは本当に良かったと言ってもらって
今は、輸血を受けてよかったと思っている。

OD(過量服薬)

ODで救急搬送され
入院したり
胃洗浄したり
点滴したり
なんてことは、何度もある。
(胃洗浄は1回。搬送時の処置は毎回ほとんど覚えていない)

わたしはずっと
苦しい自分の時間を、ODすることで
何日か消し去りたかった。
何も考えず、何もせず、気づいたら過ぎているような
そんな時間がほしかった。
そのくらい、疲れて心が限界な時
わたしは手のひらいっぱいの薬を水で流し込んだ。
次、目が覚めたその瞬間くらいは
穏やかな時間がありますように、と願いながら。

そして救急搬送されたときの入院期間は数日だけ。
そのほんの短い時間
何でもやってもらえて、多少のわがままも言えて
話も聞いてもらえて
そんな環境に身を置きたかった。
OD後の、がちしんどい病人のときなら、迷わずナースコールも押せたし、看護師さんが忙しそうでも声かけれた。
休息入院では、気を使いすぎて逆に疲れてしまうから
気を使えない状況で誰かに、ほんの数日でいいから甘えたかった。

だから、時々ODしたい衝動におそわれてきた。


摂食障害(過食嘔吐)

過食嘔吐は
主治医には、いちばん安全な対処行動、と言われているけれど
わたしにとっては罪悪感を伴う、自己肯定感と体力が削られていく苦しい対処行動。
コンビニで大量に買って
食べるというより、もはや“詰めて”そして吐く
という時や
外食で大量に詰めて、帰ってから吐くことも。
過食嘔吐とは違うけれど
誰かと外食をして、それが不安になってあとで吐く、ということもある。
とにかく、体重が増えるのが怖い。
太る恐怖と、食べたい欲求と
その両方を過食と嘔吐で満たすこと
そして
吐くことで、自分の中の汚れた何かが、一緒に吐き出せているような感覚
だから
わたしの過食嘔吐は落ち着いたり、ぶり返したりをくりかえしている。

過食衝動はわりと常にある。
でも、体重が増える恐怖と天秤にかけて、その衝動を何とか抑える時、妥協点を考える時、が安定している時。自分自身をうまくコントロールできている、という状態。
でも、フラッシュバックなどで、それどころではなくなると、コントロールがきかなくなる。
過食衝動がとめられなくなり、結果、食べて吐くことになる。
そして
食べ物を粗末にしてる罪悪感と自己嫌悪。
だから過食嘔吐はやめたいのに、なかなかやめられない。

それぞれ1回の過食、の写真を4枚組み合わせた

まとめ

生きていくのは難しいな、と
複雑性PTSDのわたしは思う。
うつ病だって何だって、精神疾患を抱えていると
いまの社会は生きづらい。
目に見える自傷行為は、無知と偏見から、心無いことを言われ
精神疾患は時に甘えやサボりだと言われる。
内科的疾患のように「完治」の概念がないものも
あると思っていて
それなのに周りからは
「早く治して職場復帰を」などと、完治する前提で話されたりすることもある。

複雑性PTSDは、自分でもコントロールが難しく
薬でのコントロールもできず
一度ひどいフラッシュバックが起きると
メンタルを立て直すのにとても時間がかかる。
その、理解がとても少ない。

また、記念日(PTSDの原因となる日)が近くなると
感情のコントロールが難しくなったり
揺れ幅が大きくなったりして
それまで良好だった人間関係に影響が出る場合があること。
病気の症状のひとつなのに、それがあまり理解されず
「手におえない」などと突き放されてしまうこともある。時間が過ぎるのを待っていてくれれば必ず落ち着くのに。

対処行動への理解も少ない。
「切るのやめたほうがいいよ」
「何でこんなことするの、、痛いじゃん、、」
「普通に食べることできないの?別に全然太ってないよ」
「食べ物もお金も無駄にしてる」
これまで言われてきた言葉の数々。
その中には医療者からのものもある。
だから知ってほしい。
あらゆる自傷行為はアピールではなくて
いまを生き延びるため、死なないための行為なんだ、と。
それを伝えたくて、「わたしの場合」を書いてみた。
少しでも、ひとりでも多くの人に伝わるといいな、と思う。

最後に、きずクリの院長が言ってくれた言葉

負けずに頑張っている姿をみんな見ています。ただ我々には今は縫合したりするくらいしか力はありません。でもあなたには無限の価値があります。○○先生(※精神科主治医)達を信じて治療を続けていきましょう。乗り越えた先にサバイバーとして伝えられる事がきっとあると感じます。
YouTubeのコメントより

これを信じていたい、と思っている。
自傷や複雑性PTSDに「完治」があるのか分からないけど、回復した先にまた違う道があるのだと
信じていたい。
そして
これを、ここまで読んでくださったあなたにも
信じていてもらいたいと思うのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?