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#metoo
「ある劇団の会員を辞めた話」のつづき
2022年7月にわたしは
「ある劇団の会員を辞めた話」というブログを書いた。
今回は
その劇団との、その後の話。
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わたしは
どうしても納得がいかず
弁護士を介して
やりとりをすることにした。
SNSで晒す方法だってあった。
でも
それは正当な手段ではない
と思い、やめた。
弁護士を介すのが正当だと思ったから。
書面を通じて何度もやりとりをした。
しかし
返ってくるのは、当たり
ある劇団の会員を辞めた話。
証拠の何もない話だ。
「あなたに落ち度がある」と言われるかもしれない話でもある。
これを書いても
結局のところ、傷ついて終わりになるかもしれない。
それでも、
わたし自身が前に進むために
何かの形で言葉にしたいと #MeToo 運動の流れの中で
ずっと思ってきた。
2016年から、今日まで
ずいぶん長い時間がかかってしまった。
思い出せないことも
記憶がぼんやりしているところも
当時より増えて
「最善」という言葉の重みを考える。
Twitterで、ジャーナリストの安田菜津紀さんが、次のようなツイートをしていました。
これに対しては
かなり共感するリプライも多いし
わたしのまわりでも
リツイートしている人や、しっくりきた!と話す人は多いです。
でも、わたしはこれを読んで
「うーん…」と思ってしまいました。
なぜ、そう思ったのか、ということを
少し書きたいと思います。
その前に、
「あなたのその時の行動は、全て最善のもの
#MeToo と、ダブルスタンダード。
もし、
身近な人が性暴力の加害者だったら
二次加害の側に立っていたら
そのことを知った時、どうしますか?
#MeToo や、
性暴力を許さないという立場に立つのなら
それは
「全ての性暴力」に対してでなければならないはずなのに、
どうしても
このことには#MeTooだけど、あのことは違う
という態度をとる人たちが時々います。
とても悲しいけれど。
たとえば
自分たちと思想信条の違う人の加害行為
性暴力に軽重の差はないのではないか。
性被害を打ち明けた時
「 キスされたくらいで… 」
「 身体を触られただけじゃないか 」
そんな風に言われたことは、あるだろうか。
SNSを見ていると
ふいに、そういう言葉に遭遇し
それがたとえ自分に向けられていなくても
心がえぐられるような苦しさを感じることがある。
“レイプ( 強かん )と無理矢理されたキスは
同列に並べることはできない
それはレイプ被害者に失礼だ”
と言う人がいる。