【テーマ「再び」から聖書を読み解く】メッセージ

https://youtu.be/B4Gyay7j0tM


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イントロ
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テーマは「再び」です。



皆さんは再び、それはは何度も何度も繰り返し過ちを犯し、むしろ反抗的な態度をとってくる人に対してどのような態度をとるでしょうか。


例えば、やめて、といったのに再び嫌がらせをしてくる人。
しかも一度は先生たちに怒られてもうしませんといっても相変わらずやってくる人。
他には何度も何度も注意しても再び同じようなことをして、なかなか言うことを聞かない部活やバイト先の後輩たち。
そういう再び懲りない人に対して皆さんはどのような感情を抱くでしょうか。

私は店長時代、アルバイトで特に中国人の方を大量に採用した時がありました。
これは人手不足で外国人の方も採用しようということ、そういう方を採用した。
すごい作業は早いのでいいのですが、どうしてもモラルというところで、文化の違いでしょうけどなかなかつまみ食いが直らない。
何度も何度も注意しても直らないのです。

そのような時、もういい加減にせい、とバッサリ切り捨てたくなるという時があるでしょう。
そしてそのような決断をしてもおそらく周りの私たちは、ましょうがないよね、、、と同情する事があるでしょう。
でもまさにそのような決断をしてもしょうがないようなことをされたのは、神ご自身であったのです。
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再話
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先週のお話では、当時の王様キュロス王が神によって霊を奮い起こされて、当時捕まっていた民たちを故郷エルサレムに帰す、というのがお話でした。
そして一部の民たちはエルサレムに帰っていき、そこで様々な妨害があり神殿再建は思うように進まない事がありましたが、ついに神殿を建てたのです。

今日のお話は、最初に民たちが故郷エルサレムに帰ってから約80年後の出来事です。
ここでエズラ記という書の名前であるエズラが登場します。
エズラが登場するのは7章でやっと登場するのです。

エズラは民たちが捕まっていた、故郷エルサレムから遠い地のところに住んでいた祭司でした。
そこでエズラは昔神が民たちに与えた戒めを学んでいました。
そして思いました。
「私は故郷エルサレムに帰って、この神の言葉を伝えていきたい」と。

神はそのようなエズラの願いを聞かれ、当時の王様の心を動かされました。
そして王様はエズラに命じました。
「あなたは仲間を連れて故郷エルサレムに帰りなさい。
神の教えを伝えて、神を礼拝しなさい」と。

さらに王様は故郷エルサレムの神殿で礼拝するために必要な、金や銀も用意してくれました。
さらに、当時その地に残っていた人たちは「これを使ってください」とエズラに捧げ物をしたのです。

エズラはその地を旅立つ前に、そこに住む民たちに向かって呼びかけました。
「私と一緒に故郷エルサレムに行って、神に礼拝を捧げたい人は私の元に集まりなさい」
すると大勢の人が集まってきました。
そしてエズラを中心に、出発前にみんなで心を合わせて神に祈りました。
「主よ、どうぞ私たちの旅を守ってください。
悪い人たちに襲われないように、宝物が奪われないように、そして神の神殿で礼拝が捧げる事ができますようにどうぞ導いてください」。
そのように祈りながら、エズラたちは長い長い旅をしてついに彼らは故郷エルサレムについたのです。

そしてエズラたちは神殿で、持ってきた宝物などを捧げて感謝の礼拝をしました。
先にエルサレムに帰っていた多くの民たちにも会えて大きな喜びを共に分かち合ったのです。

しかしその後にエズラは次のような話を聞いたのです。
「実は私たちより先に帰った多くの民たちが、私たちを信じる神ではなく、他の神を信じる人たちと結婚をしています。神の教えに背くことをまたしているのです。」

エズラは非常に驚きました。
元々イスラエルの民たちが敵国によって滅ぼされ、捕まって遠い外国の地に連れて行かれたのは、そもそも、神を裏切り他の神を礼拝し続けていた事が原因でした。
でも神の憐れみによってそこから故郷に帰る事ができたにも関わらず、また懲りずに再び同じような罪を犯す人たちがいたからです。

しかも祭司など信仰的なリーダーであった人たちすら、他の神々を拝む人たちと結婚していたのです。
エズラはこのことを聞いて非常にショックを受けました。
そしてエズラは泣きながら神に祈ったのです。
その祈りが今日皆さんが読んでくれた箇所です。

彼は神に祈りました。
「主よ、私たちの先祖はあなたに従わず、背き続けたが故に国を滅ぼされて遠い外国の地に連れて行かれました。
でもあなたの憐れみよってまたこの故郷の地であるエルサレムに帰る事が許されました。
その時あなたは、私たちを祝福されるように他の神を拝む人たちとは結婚しないように言われました。
しかしその教えも再び破ってしまったのです。
このままでは、私たちはあなたの前に立つ事ができません。」
そのようにエズラは民たちを代表して祈っていきました。

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注目したい御言葉
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今回注目したい御言葉があります。
14:エズラ記/ 09章 14節
われわれは再びあなたの命令を破って、これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って、ついに滅ぼし尽し、残る者も、のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。
15:エズラ記/ 09章 15節
ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立つことはできません」。

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もし自分だったら
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もし私たちが神の立場であったらどうでしょうか。
民たちを愛しているにも関わらず、何回も裏切られ、むしろ反抗的で言うことを聞かない。
その結果、彼らが敵によって捕まっていった。
その時点でスッキリしたかもしれない。
でも可哀想に思い、民たちをまた故郷に帰すように、当時の王の心を動かし、また故郷に返して関係を再び築こうとしたのです。
でもまたそこで、前と同じように再び自分とは違う神を愛し、民たちを守るために約束した掟も再び守らなかった、、、
私ならいいかげん堪忍袋が切れるかと思います。
いい加減にしろと。
何回も何回も同じことを再び繰り返し、自分のことを裏切ることをするならもう許さない、と。

でもエズラはこのように祈れました。

15:エズラ記/ 09章 15節
ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立つことはできません」。

エズラは、正しい神の前では誰も立つ事はできない、ことを知っていました。
なので民たちが再び裏切ったその罪の裁きを受けるとしたら、本当は神の前に立つことさえできないのです。
でも民たちはまだ滅ぼされずに立っています。
なぜでしょうか。
それは何度も何度も再び民たちが裏切っていても、神はすぐに滅ぼさず、悔い改め、方向転換し再び神の元に帰る機会を与えて下さっているからです。

実際この後、エズラは悔い改めて行動を起こし、民たちが今の現状から離れ、改めて神を礼拝し愛するように指導していき、民たちは滅ぼされずに生かされていったのです。
神はこのように何度も何度も神に背き、敵意を表す民をも再び赦す神。

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あるご婦人がラジオでこんな証をしてました。

「私の夫は何回も何回も浮気をしていた人です。
本当に何度も何度も懲りずにしていた。
本当に許せなかった。
何度も別れようとしたのです。
でも思いました。
私は、神の前ではそれ以上に神に裏切り続けてきた罪人であると。
そしてそんな私がキリストによって赦された一人の罪人である。
それは決して見捨てない神の愛が私を滅ぼさずに赦し続けてくれた。
ならこのどうしようもない夫をも赦そうと。」

そしてこの夫は奥さんの愛に気付き悔い改め変えられていきました。

もちろん赦しにも、毅然と罪に対して制限を設けることは必要でしょう。
でもそれでも関係を完全に断つことをしない。
繋がり続けていった。

なぜなら神が、私たちが繰り返し繰り返し、この民たちのように神を忘れ、他のものを愛し、神を愛する戒めを守らなくとも、それでも滅ぼさずに、いやむしろその滅ぼす怒りを、御子イエスキリストの十字架の上に下されたことによって、私たちを滅ぼさなかった。
それほどまでにして私たちを愛されたその神の愛によって私たちは今日も生かされていることを知るのです。

自分の罪故に、とても神の前に立つことなんて赦されない、すぐに滅んでしまうようなものが今日も神の前に立つことを許されている。
それはキリストの故に私たちは神の前に立てるのです。

それほどまでに神は私たちを愛されている。
だから今日もこの神に立ち返るのです。
この愛の元に帰るのです。

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結語
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聖書は言います。

14:エズラ記/ 09章 14節
われわれは再びあなたの命令を破って、これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って、ついに滅ぼし尽し、残る者も、のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。
15:エズラ記/ 09章 15節
ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立つことはできません」。

民たちは神に背きつづけ敵国に捕まっていきました。
しかし神はまた故郷エルサレムに戻してくださり、そこでまた民たちは神殿を建てる事ができました。
しかし民たちは再び神の掟を守らなかったのです。

本来ならそこに神の裁きがあり、滅ぼされても仕方ない者たちです。
神の前にたつ資格はありません。
しかしそれでもまだ滅ぼされずに生かされている。

本日聖餐式が行われます。
基本的に洗礼式は一生に一回、でも聖餐式は定期的に行われます。
なぜ聖餐式は定期的に行われるのか。
その一つの理由は私たちが救われてもなお再び罪を犯すからです。
キリストによってなお救われてもなお罪を私たちは罪を犯す。
神の愛を忘れる。
でも聖餐式の度に、葡萄液を飲むたびに、自分の罪によって代わりに十字架で流された血を思い起こす。
パンを食すたびに、十字架で裂かれたキリストの体を思い起こすのです。
そのために私たちは定期的に聖餐式に与ることを赦されている。

私たちもキリストによって救われたにも関わらず、何度も何度も神を忘れて生きています。
同じ過ちを再び繰り返す者です。
しかし今や私たちはキリストの十字架と復活によって赦され滅ぼされずに生かされている。
それほどまでに愛されている。
この神の愛の元に、私たちは今日も立ち帰っていこうではありませんか。

祈ります。

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祈り
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天のお父様、私たちはこのイスラエルの民たちのように、何度も何度もあなたを忘れ、裏切って、あなたを愛せず、そしてあなたが造って下さった隣人を愛せないものです。
でも今こうしてキリストの故に生かされ、救われていることを覚えます。
どうぞあなたの愛に立ち帰り、あなたを愛し、隣人を愛する事ができるよう力を与えて下さい。

イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン。




今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大

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