【祈りとは何か】メッセージ

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聖書箇所
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聖書をお読みします。
本日の聖書箇所はネヘミヤ1:1ー11
です。

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・泣き嘆き祈るとは何か?
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説教題は「泣き嘆き祈るネヘミヤ」です。

皆さんは「祈り」と聞くと、どのようなイメージをするでしょうか。
例えば祈りとは、「呼吸することである」とか「神との会話である」とか「主の祈り」などを想像するかもしれません。

祈りを聖書辞典で調べるとこのように書いてありました。
今回の箇所に使われている「祈る」と訳されている元々の言葉は、
「身を切って自己を犠牲にする」という意味がある、と。
「身を切って自己を犠牲にする」。

私は面白いなと思ったのです。
祈りは先ほど述べたように、「呼吸すること」「神との会話」などがあり、特に私は詩篇などにあるように、自分の心のうちにある良いことも悪いことも、感謝も不満も正直に神に打ち明けること、そういうのが「祈り」である、というイメージがありました。

でも今回の箇所での祈りとは「身を切って自己を犠牲にする」と。
自分を犠牲にして祈ること。
そしてこの「身を切って自己を犠牲にする」というところから「仲裁する」「間に入る」「とりなす」などの意味になるのです。
自分の身を切って犠牲になってまでもして、相手と神との関係の間に入って、とりなす、それがここでの祈りであると。

ネヘミヤは泣いて嘆いた後に祈りました。
これは単にネヘミヤ自身に直接悲しいことが起きて泣いているのではないのです。
彼は、自分ではなくイスラエルの民と神との関係についてそれを自分ごととして受け止め、その現状を泣いて嘆き、神とイスラエルの民たちの間に入ってとりなしの祈りをしていったのです。

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・誰が泣き嘆き祈るのか
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さてこのような祈りをしたネヘミヤ。
彼は一体どういった人物だったのでしょうか。
聖書は言います。

ネヘミヤ記/ 01章 11節
私は王の献酌官であった。

彼は、当時の国で「献酌官」という役割に任じられていました。
献酌官とは王の命を守るための、いわば「毒味係」です。
当時、人を暗殺する時に使われた主な方法は毒でした。
なので毒味役の献酌官であったネヘミヤは、いわば王の命を守る立場であり、それゆえに当時の王に非常に信頼されていた人物でありました。

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・いつネヘミヤは泣き嘆き祈ることになったのか
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そのような立場であったネヘミヤは、ユダから尋ねてきた兄弟達がいたので、自分の故郷であるエルサレムとそこに残されている自分と同じ仲間であるユダヤ人のことを尋ねました。

このネヘミヤにとって故郷エルサレムは、元々民達の罪ゆえに当時の敵国によってエルサレムが滅ぼされてしまい、神殿も破壊されてしまいました。
そして遠い外国の地に捕虜として捕まえられていったのです。
しかし神の働きかけによって、当時の民達の王であったキュロス王の霊を奮い起こし、故郷に帰る道が開けたのです。
そして帰っていった民たちが、エルサレムで神殿を再び建て始め、本来ならすでに完成していてもおかしくない歳月がたっていたのです。
だからネヘミヤは自分の故郷であり、自分にとって非常に大切であるエルサレムが現状どうなっているのかを兄弟達に聞いたのです。

ところがネヘミヤが聞いたエルサレムの現実は違ってました。

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・なぜ泣き嘆き祈るのか
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3:ネヘミヤ記/ 01章 03節
彼らは私に言った。「捕囚の生き残りで、その州に残っている人々は、大変な苦悩と恥辱のうちにいます。またエルサレムの城壁は崩され、門は火で焼かれてしまいました。」

ネヘミヤが聞いた知らせは、今も民たちは非常に困難の中にあり、そして街は周りの国によって城壁が壊されたり、門が焼かれていた状況であったのです。
当時、高くて厚い壁を自分たちの住んでいる街の周りに建てることによって、敵の襲撃から自分たちを守りました。
平和な秩序のある生活をするためには城壁が築かれ、門が完備してこそ初めてできるものです。

しかしその城壁が崩され、門が火で焼かれているということは、周囲の敵からの攻撃に対して自分達を守るものが無いことを意味します。
そう、エルサレムは無防備な町であったのです。
いつ敵が攻めてくるか分からない、もし責めてきたら自分たちは何も対抗するものがない、そのような大いな苦悩を故郷エルサレムにいる人たちは感じていたのです。

その故郷とそこに住む人たちの現状を聞いてネヘミヤは非常に悲しみました。

ネヘミヤ記/ 01章 04節
これを聞いて、私は座り込んで泣き、幾日も嘆き、断食をして、天の神の前に祈った。

ネヘミヤはショックで崩れ落ちるように座り込んだのです。
そして泣いて、嘆いて、断食をしました。
別訳では嘆きを、「喪に服す」とあるほど、ネヘミヤには死の痛みがあるような深い悲しみだったのです。
ネヘミヤ自身、故郷エルサレムからは遠い宮廷の献酌官でしたが、同じイスラエルの民として、この惨状を受け止めたのです。
彼にとって、それはあまりの悲しみであり、立っていることのできないほどの痛みでありました。
そして、その中でネヘミヤは神の前で祈ることに迫られ、そして天の神への祈リヘと導かれていました。

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・どのように泣き嘆き祈るのか
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ネヘミヤの祈りで注目したいところがあります。

イスラエルの人々の罪を告白します。私たちはあなたに罪を犯しました。私も、私の父の家も罪を犯しました。
7:ネヘミヤ記/ 01章 07節
あなたに対して悪事を行い、あなたの僕モーセに命じられた戒めと掟と法を守りませんでした。

ここでネヘミヤは泣いて、嘆いている中で罪の悔い改めをしました。
ネヘミヤは故郷の今の現状を単に、周辺の国の妨害や圧迫だけでなく、根本的な問題は、神と民達との関係が破られていることを認めたのです。
イスラエルの人々の罪を告白します、と。
それだけではありません。
ネヘミヤは、自分の仲間のことを他人事のように批判し、彼らがいけない、彼らの問題だ、と考えるより、彼らと同じ罪を、私自身もまた罪を犯している、と民達の罪を自分ごととして結びつけ一体化するのです。
民達の罪は私自身の罪であり、私たちも神であるあなたに罪を犯した、と。

聖書は言います。
ネヘミヤ記/ 01章 04節
これを聞いて、私は座り込んで泣き、幾日も嘆き、断食をして、天の神の前に祈った。

ネヘミヤが泣いて、嘆いて祈ったというのは、単にネヘミヤ自身に深い悲しみが起こったわけではありません。
故郷エルサレムの今の悲惨な状況を聞いて、それを自分事として捉え、悲しみそこから神に祈り始めたのです。

最初に述べました。
ここでの祈りとは元々「身を切って自己を犠牲にする」と。
ネヘミヤはエルサレムにいる民と神との関係だけの問題としてだけでなく、ネヘミヤはその両者の間に入り、とりなし、自分も罪を犯す当事者の一人として、自ら身を切ってネヘミヤは神に祈っていったのです。

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展開
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ウクライナの戦争が始まって今月で1年が過ぎようとしています。
依然として争いが続いています。
戦地は火で焼かれています。
建物は崩されているのです。
未だに人の命が失われ続けています。

私たちが国のリーダー達を批判するのは簡単です。
あの首相が悪い、とか実はあの団体が裏で陰謀しているのではないか、と。
でも今一度私たち教会は、改めて身を切って犠牲にして、神と戦争をしている人たちの間にたってとりなす祈りをしたいと思うのです。
今この世界の悲惨な状況は私たちの罪であると、自分ごととして受け止め、泣いて嘆いて祈るのです。
天の神よ、あの人たちの罪を告白します、いや、私たちの罪を告白します、と。

もちろん私たちは直接戦争をしているわけではありません。
人を殺しているわけではありません。
でも、自分たちと、戦争をしている人たちやそのリーダーたちとを完全に分けて、あの人たちだけの罪の問題である、と問う時に、果たして本当に心の底からそれはあの人たちだけの問題であろうかとも思うのです。

私たちにも同じ罪の性質がある。
今日も私たちは、自分の正義を掲げ、大して相手の事情を知らないのにも関わらず、表面的な行動だけで簡単に自分の正義の基準で善悪を判断しそれによって裁いている。
この数日間でも振り返れば、人と小さな争い事、口論、憎しみの感情を繰り返している。
実際に人を殺しはしなくとも、私たちの心の奥底をじっと見れば、きよい神の前では、戦争を引き起こし、殺戮している人たちとは実はあまり変わらない罪の性質があることに気付く。

だからこそ私たち教会は、自分も神の前で罪を犯している者として受け止め、あの人たちの問題だけなく、共に共同体として罪を担うのです。
私たちはあなたに対して罪を犯しました、私も神であるあなたの前で罪を犯しました、と。

ウクライナ戦争が起こった当時、ある教団の世界宣教委員会が作成した「平和を求める祈り」というのがあります。
この祈りの冒頭はこのようなものです。
「主なる神よ
私たちは罪の中に住む者、そして罪人である私たちの共同体もまた、罪を犯します。
あなたの聖なる火で私たちを清めてください。
あなたを畏れることを忘れ、自分を大きくし、傲慢になる時、私たちは他者を脅かし、傷つけ、
あなたにも背を向けます。
主よ、人間の傲慢さを打ち砕いてください。」

人間の傲慢さを打ち砕いてください、それは戦争をする人たちだけでなく、神を恐れることを忘れる私たちをもです。
戦争を始めた人たちの罪だけではない、私たちも、神を恐れることを忘れる時、人を傷つけ神に背くものである、と罪の告白をしていくのです。

そしてこの平和の祈りはこのように続けます。

「万軍の主よ、あなたの赦しの力は私たちの罪より偉大です。

いかにこの世界に戦争という巨大な罪の力があるように思えても、契約と慈しみを守る神の赦しの力は私たちの罪より大きい。
力があると。
どんなに悲惨な状況になろうとも、神の赦しの力が大きいという事実があるからこそ、私たちは今日も身を切って犠牲にしてとりなしの祈りを続けることができるのだと思います。

その確信は今回の箇所でいう
ネヘミヤ記/ 01章 10節
彼らは、あなたが大いなる力と強い手によって贖われた、あなたの僕、あなたの民です。
と信仰告白できるから。

なぜなら神が民達をエジプトの奴隷から救われたように、私たちを罪の奴隷から、神の大いなる力と強い御手によって贖われた、それはキリストの血によって罪の奴隷から買い取られた神の子とされたものであるという事実があるからです。
だからこのとりなしの祈りはキリストによって贖われたキリスト者達、教会だけが祈れる祈りなのです。
この私たちを罪から救い出す神の大いなる力と強い御手は、私たち世界全体の罪よりもはるかに偉大である、そのように今日も私たちは信仰告白してとりなしの祈りがすることができる。

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結語
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聖書は言います。
ネヘミヤ記/ 01章 04節
これを聞いて、私は座り込んで泣き、幾日も嘆き、断食をして、天の神の前に祈った。

ネヘミヤは兄弟を通して、未だに故郷エルサレムの城壁が崩れていて、民達が侮辱されている事実を知りました。
その事実を知り、彼はショックで崩れ落ち、深い深い悲しみの嘆きと涙をしたのです。
そこから彼はエルサレムの現状を自分ごととして悲しみ、身を切って犠牲にして、とりなしの祈りをしたのです。

私はつくづく神の不思議な導きを思うのです。
今回の聖書箇所は、成長という教案誌を元にあらかじめ聖書箇所が決められていました。
そしてこのネヘミヤの祈りが今日の箇所だったのです。
このネヘミヤの祈りの箇所が、ウクライナ戦争が始まってからちょうど1年たつこの時期に私たちに与えられたのは、決してたまたま偶然ではないと思うのです。
神のご計画の中で、今一度、日本にいる私たち教会が、この戦争が未だ終わりを迎えていないこの悲惨な現状の中で、単に◯◯が悪いと批判するだけで終わるのではない、大きな世界大戦が2回も経験してもなお戦争をし続ける、依然として霊的にも復興しないこの人間の悲惨な状況を、自分たちの罪の結果として受け止め、その中でとりなし祈るように示されていると思うのです。

だからこのネヘミヤの祈りに合わせ、私たち教会は共に罪を告白していく。
そしてそれと同時に、神の赦しの力は、強い御手はこの世界のどんな罪より偉大である、そのこと信じ、今日も私たちはとりなしの祈りを続けていこうではありませんか。

祈ります。

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祈り
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天のお父様、戦争が始まり1年以上続いています。
未だに復興のめどは立っておりません。
争いが止まる気配もありません。
その緊張感の中ですぐにあの人たちの問題と切り離してしまいたくなる私たちです。
しかしそのような論調の中でこそ、私たち教会があの人たちの罪は自分たちの罪と認めてあなたに憐れみを求め、とりなしの祈りがすることができますように。
それはあなたの赦しの力がどんな大きな私たちの罪よりも大きいからこそ、自分たちのこととして祈れる幸いを今一度受け止めさせて下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。




今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大

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