【正論の効用】

「一言でいいのです」から思わされたことです。

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だれかと衝突して傷ついた友に、正論をふりかざして「あなたにも非がある」と宣告しても、友の心はいっこうに癒されないでしょう。
かといって正論ですから反論もできずに、行き場をなくした感情が怒りと恨みとなって膨れあがってしまうのです。


問題を抱えて苦しんでいる友に、親切心からとはいえ「こうしろ、ああしろ」と助言をしても、そんなことは百も承知なのにできないのですから、役に立たないどころか、言葉でかえって追い詰めてしまうかもしれません。


否定されて傷ついているから、ただ味方に立ってほしい。
どこかで、自分にも非があるとわかっているからこそ、そんな自分でも受け入れてくれることを確かめたい。
解決できない自分のままでも、あなただけは責めないでいてほしい。
そんなふうに、人間には正論では覆いきれない弱さがあります。
正論には耐えきれない愚かさがあります。


ただ、人を包み込む愛のだけが、芯にある固いものをじんわりと溶かします。
そのとき、人は自分の非や弱さを認めて進むことができるのです。

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「そんなふうに、人間には正論では覆いきれない弱さがあります。
正論には耐えきれない愚かさがあります。ただ、人を包み込む愛のだけが、芯にある固いものをじんわりと溶かします。そのとき、人は自分の非や弱さを認めて進むことができるのです。」


SNSの台頭で、正論を振りかざすことが誰でもできやすい時代になりました。
芸能人がスキャンダルを犯したり、一般人が社会に対して迷惑行為をした時、正論でたくさんのコメントをしたり、拡散させたり、いいねをつけます。


確かにそれがあることによって、ある程度の抑止力になることはあるでしょう。
こういうことをしたらこのような代償になる、と。


でも正論だけぶつけられても、反論ができず、かえって行き場のない追い詰められた感情がより悪い形で大きくなってしまうことがあるのが人の弱さであるとも思うのです。


無条件に包み込む愛こそが、どこかで自分自身を必死で弁護して自分は悪くないという頑なな心を溶かすのです。
自分以外に自分を弁護してくれる方いるからこそ、自分を正当化せず相手の意見に真の意味で耳を傾けることができると思わされます。


今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大

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