献身の証をして感じたこと

昨日はミッション先の教会で、献身の証をしました。

なんだかんだもう1ヶ月はこのミッション先の教会にいたので、なんとなく僕と言うキャラが皆さん分かってきただろうというところでの証だったのでタイミングとしては最高でした。

ちょいちょい個人的には何故献身したのかという話をしていましたが、改めて証をするとまるで初めて聞いたかのような反応が結構あります。

そして改めて、
人というのは他人の話ってあまり聞いてないんだなーと思いました(笑)
もちろん僕自身含めてです。

ある経営者の方がいってました。
「自分の思いとか、理念とかは1回だけじゃだめだ。
何回も何回も言わないと伝わらないと。」


その時の自分の置かれた環境や、自分の立場によって受け取り方が違う。
だから同じ話でも感じ方が違うと思ってます。

なので以前、献身の話は書きましたが改めて今回載せたいと思います(笑)

以下が完全原稿になります。

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みなさんおはようございます。
修養生の長瀬雄大です。
今年の4月から東京聖書学院という神学校に入学してきました。
僕は3人の男の子と1人の妻がいます。
決して逆ではありません(笑)

今回なぜ献身することになったのか、その経緯をお証致します。

私の家族構成は、おじいちゃんおばあちゃん父母私の5人家族でした。
クリスチャンは母だけであり、おじいちゃんおばあちゃんは仏教、
そして父は自分が神様(笑)という宗教観がバラバラな家庭で育ちました。

小さい頃母親に強制連行され教会学校に行き始め(笑)
そして色々な学びを通して
20歳の時に受洗しました。

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大学生の時です。

就職活動をしている時、元気であった母親が急に倒れました。
検査の結果、肺ガンだったんです。
しかもステージ4といっていわゆる末期状態。
肺全体にガンが広がったため、手術は不可能。
余命があまりないという状態だったんです。

母は身近なこどもの私から見ても真面目なクリスチャン。
お酒タバコもしないのになぜこのような病気になるのか、疑問に思いました。

当時日本の平均寿命は約80歳と言われ、
20代前半の私にとって、死というのはまだまだ先のものであり、
遠いものと思ってましたが、
自分の身近な人が、死に直面していることを目の当たりにし、改めて、

「人は死ぬ」

この現実を突きつけられました。
そしてこれをきっかけに、今まで考えたことが無かった、

自分は何のために生きているのであろうか、
自分の人生の意味とは何か、

ということを考えるようになりました。
そんなある日、家に帰る途中、頭の中に突然光がおおい、神様から

「牧師になり、私のことを伝えていきなさい」

と言われたように思いました。
最初は幻覚、または夢でも見たのかと思いましたが、
この「牧師」という言葉が、
これこそ自分の生きる道であると、
その時理由はわかりませんでしたが確信がありました。

「自分は牧師になる」

ゴールは決まった。
そのために、牧師になるということは人をまとめる力、
リーダーシップが必要であり、その経験を早くさせてくれるところに
就職したいと思いました。

そのような事を考えながら就活していた時ある会社に出会いました。
ワタミという会社です。
創業者の方が渡辺美樹と言いますが、その方は元クリスチャンで、
ワタミ企業理念に、
「神はこの地球を魂を磨く道場として作ったと考えると全てつじつまがあう。」
と日本の一部上場会社なのに堂々と神という言葉を使っているところが共感し、
どうせ働くならそういう理念の会社で働こうと思いました。

で店長経験をすることによってリーダーシップを学び、
4年間働いて神学校に入ろうと思いました。

そして実際半年で店長になり、4年間働きました。

そのワタミを辞めた年、母親がそろそろ危ないという事で
その年は神学校に行くのをやめました。

母は結果的にガンと分かってから5年間生かされたんです。
お医者さんの見解では約半年と言われたにも関わらずです。

母親が亡くなる数日前、
もう意識があまりなく酸素マスクをつけている状態の時でした。
苦しんでいるのを見て、何かできないかなと思い、
ベットの近くにいつも置いてあった聖書を広げ、
母が好きな御言葉を読みました。

主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、
のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。 (イザヤ書 40:31 )

これを読み終えた時、あまり意識のないはずの母がニコッとしたんです。
それを見た時私は、
「あ、確かに肉体はいつかは滅びていく、
しかし神の言葉、御言葉はそのような中でも、
心に力と平安を与えることができ、
人を慰めることができるものだ」
と気づき

そして私は、
この神の言葉を一人でも多くの人に伝え続けること
これこそが自分の使命だということを改めて確信したんです。

母さん、
あなたの生き様をしかと見届けました、と。
これから自分のこの命を使って、
人が死にゆくような時でも心に平安を与える、
この神様の御言葉を一人でも多くの人に伝えていきます
と、約束しました。

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よし、じゃあこれから神学校に行き頑張るぞーと思ってたときです。
色々準備をしている中、妻に気持ちを聞いたところこのような答えがきました。
「ごめん、正直牧師夫人になる気はほとんどない。
あなたは熱い思いがあるかもしれないけど、私はそうではない。
表面上牧師夫人になれるかもしれないけど、
あなたには嘘はつきたくないからごめん。」
という答えでした。

それを聞いて最初はがっかりしました。
え、なんで、、、、と。
こんなに準備してきたのに、、、、と。

でも正直な気持ちを言ってくれたのはありがたいと思いました。
今思い返しても、確かにあの時無理やり献身しても、
信仰の温度差で家庭内は問題になることが多々あったのでは、と思わされます。

そして長年夢見た献身の道が閉ざされました。
神さまが道を閉ざす時は、もうびっくりするくらい
バンバンとシャッターが閉じていく感じで道が閉ざされます。

そしてその時思いました。
「牧師不足と言われているこの日本の状況の中で献身しようとしているのに、
なぜ神様は献身の道を閉ざすのか」と。

そして悩み苦しみました。
今まで過酷な環境で頑張ってこれたのもすべては夢のため
なのに、
その夢がなくなった今、自分はいったいどうすればよいのか、、、。

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そのような中、祈り求めている時に、
いのちのことば社というキリスト教出版社に出会いました。

今思うとやはり神さまの計画だなーと思います。

普通、一般信徒は他の教会にはいけません。
今まで私は母教会以外の礼拝に殆ど出席者したことなく、
ホーリネス教団以外のことも殆ど知らなかったので、
超教派であるいのちのことば社で、
しかも様々な教会に行くことができる営業部の採用だったので、
まさに私に視野を大きく広げるために神様が用意してくれた場であると、
後から考えれば考えるほど思うようになりました。

そして私はいのちのことば社に就職した時に決めたことがありました。
それは、
「自分はすぐに献身したい、でも一度そのタイミングは神様に委ねよう」と。

具体的には、
妻がもしOKしてくれたら、それが神様の「時」と信じ、
今自分の気持や、決断は一度神様にお預けし、
今目の前の与えられた職場でやることを尽くそう
と決めたんです。

そしてことば社で働き出して約6年後、
妻の信仰にも大きな変化が起こりました。
妻は、結婚前に洗礼を受けましたがそのあとはどちらかというと教会から離れていたのでしたが、
色々な試練、特に心の痛みを通してイエス様と個人的に出会い、大きな方向転換をしました。

そして2018年11月3日東京聖書学院デーの帰りに妻に聞きました。
「神学校行っていい?」
そしたら妻が
「わたしがダメって言って諦められるもんなの?」
と言われ、僕が
「じゃ行きます」
となり妻がGOサインを出してくれました。

このとき思ったのは、
それまではタイミングを神様に委ねていたと。
そして時が来た時、まるでエレベーターのように自動的にチンと聖書学院に行く感じになるかと思ってました。
でも最後に神さまはちゃんと僕に行くか行かないかの選択肢、僕に決断する自由意志を与えてくれました。

結果、最初に僕がたてた予定より約10年以上牧師の道が開かれなかったです。
しかしこの10年以上の一見遠回りをしている経験が必ず今後の働きにつながり、
役に立つことになると信じています。

今思い返した時に改めて思わされる御言葉読みます。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
伝道の書 3:11 口語訳

以上で証を終わります。

ありがとうございました。

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今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)


長瀬雄大



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