【勤勉な努力の意外な落とし穴】

「12の誤解」から思わされた事です。

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ジェイソンは忙しくし続けることで自分のニーズと向き合うのを避けていました。
キリストを愛する気持ちから従順だったわけではなく、恐れと不安によってそう振る舞っていたのです。


このような状況を指してイエスは「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」とはどういう意味か、行って学んで来なさい」(マタイ9:13)と言いました。


ありのままの姿で愛されているという神の憐れみを理解し、その愛に戻って来るまでは、私たちがいくら犠牲的で献身的で責任ある行動を取ろうが、神にとっても私たち自身にとっても益にはなりません。

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誠実な仕事や、奉仕などをし、そして結果を出していたとしても、本人の心は辛く、落ち込み、時には鬱になるようになることがあります。


色々な原因が考えられますが、その一つに、人に仕え愛しているが故の仕事や奉仕だと思っていても、実は心の奥底では人目を恐れている可能性が高いからです。


これは他人から見たら、本人の心の奥底までは分からず、本人すらも自覚がない可能性が高いので判断が難しいものです。
でも人目を恐れて行動する、という愛ではない動機で動く時に、心は蝕まわれていきます。


もし自分の心に苦味や恐れ、呟きがあったとすればそれはどこかで、動機が愛ではなく、恐れから来ているのかもしれない、ことを思わされます。




今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

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