【依存症からの回復の家族のケア】
「ベテルの家から吹く風」から思わされたことです。
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断酒に成功し、酒害に苦しむ当事者たちのリーダーとして尊敬を集め、活動に専念する両親のもとで、その現実を共に生き抜いた子どもに光が当たることは少ない。
H君は幼いながら、生きることに望みを失い、病み、つかれはてていたのである。
「それにしてもH君は、サバイバルな人生をよく生きてきたよね。
僕は、H君の立場だったら、まったく生きていく自信がないね。
これからは、H君自身にも少しは、“安心”とか“幸せ”という生活を実感できるように、いっしょにいろいろな作戦を立てようよ。」
そう言うと、H君は再び深刻な表情になった。
「向谷地さん、それが僕にはできないんですよね。
“安心”とか“幸せ”というのは、経験したことのない自分にとっては恐怖なんです。
“幸せ”ってなったことがないから、正直言ってこわいです…………」
それは意外なことばだった。
「お姉ちゃんもいろいろと苦労しているし、母さんも苦労しているし、だから、自分も苦しんでいなくちゃいけないんです…」
彼は苦しみ、もがき続けることによって家族に連帯しているのだった。
それは、彼ばかりではなかった。
家族みんなが、まるで運命共同体のように「苦しむ」という一体感に依存していた。
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「“安心”とか“幸せ”というのは、経験したことのない自分にとっては恐怖なんです。“幸せ”ってなったことがないから、正直言ってこわいです…………」
おそらくほとんどの人が安心や幸せを望んでいると思います。
そのために仕事に精を出し、家庭円満を目指し、趣味などを一生懸命探し求めている。
でも育った家庭環境によっては、安心や幸せをほとんど経験していないと、むしろ幸せな状態ですら恐怖になる事がある、、、。
このH少年はアルコール依存の親によって暴力を振るわれ、H少年にとって家庭は幸せな場所ではありませんでした。
そしてそれが当たり前になっていた。
だから親がアルコール依存から回復して、その家庭に安全が確保される状態になっても、その少年にとってそして家族にとっても今まで経験してこなかった幸せが逆に恐怖になってしまうのです。
自分が苦しまなくちゃいけない、、、、本来自分が安全、安心、幸せな状況を経験していいにも関わらず苦しまなくちゃけないという縛りが依然とある、、、。
親がアルコール依存から立ち直ったこと、さらに同じように苦しんでいる人のために働いていることは素晴らしい事です。
でもそこだけに注目するのだけなく、共に生き抜いた子どもたちのケアが必要であることを思わされます。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大
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