連続対談「私的占領、絵画の論理」について。その18 アソシエーション的な美術の学び

前回、僕は「私的占領、絵画の論理」について、自分が知りたい・考えたい作品を検討するために、その作品を作った人、また同じように作品について考えたい人と集まる「開かれた学校」なのだ、と書きました。

古代のアカデミアでは、学校とは、事業体として教師が生徒に「サービス」を提供するのではなく、学びたい人々がまず集い、自分たちの課題に即して、教師を自分たちで「選んで」、来てもらって講義を受けていたといいます。それが本来の学びの形態です。

学校、という言い方が大げさならば、教室と言ってもいいかもしれません。このように書くとき「永瀬や作家さんも同じ立場なのだというならば、観客が支払っている入場料はなんですか」という疑問を持つ人はいるかもしれません。

これについては、もう本当に、企画の維持費以上のものではありません。この企画では、およびする作家さんに相応の謝礼と交通費をお支払いしていますが、作家さんには、有形無形でご尽力いただいています。事前打ち合わせ、何通ものメールのやりとり、当日資料の準備。前回は有原さんの個展会場で開催できましたが、五月女さんの時も実作を1点、持ち込んでもらっています。そして、次回の辻可愛さんには、けっこうな分量の実作やzineをもってきていただきます。こういった労働やご協力に、最低限の謝礼を払って来ていただいているわけです。これを、集って頂くみなさんにご負担いただいている形です。

企画者サイドは、この件で利益を得ていません。ART TRACEには会場準備や事前折衝をお願いしていて、僕は僕で相応の準備をしています。そして言うまでもなく、会場となるART TRACE GALLERYはアーティスト・ランの空間です。作家たちが自分たちで会場を維持している、そこを一時的にお借りするわけです。これだけの人数を集められる場所の維持がどのくらい大変かは、御了解いただけると思います。こういう形で、皆で少しづつリソースを、そして入場料を持ち寄って、その人たちで作品について、「絵画の論理」について考える場所、学校/教室が「私的占領、絵画の論理」になります。

そして、僕は、古代ギリシャ以来の、本来的な学校/教室の形とは、こういうものではないかと思っているのです。

いわゆる事業体としての教育機関を、僕は否定しません。周期的に、美術大学批判が表面化しますが、様々な問題はあっても、僕はいまでも美術大学や美術学校は、一番「フェアな」美術教育システムだと思います。端的に、私塾などは東京をはじめとした大都市圏でしか可能でなく、こういうところに行けるのはごく限られた人だけです。ましてや昨今の労働条件の中、ダブルスクールが可能な経済的背景のひとはほぼ一握りになりつつあります。美術大学は公立私立あわせてかなりの程度各地域に整備されつつあり、一般に公正な選考を経て入学すれば専門教育が受けられます。美大や美術学校を否定して、なお自分たちだけが可能な美術教育を受けられる人がフレームアップされるなら、それは極端なアート・エリーティズムになりかねない。

ART TRACEと「一人組立」が共同で企画している「私的占領、絵画の論理」が掲げている学びの本来性は、意味内容と併せた、アソシエーション的な経済構造です。たとえ小規模であっても、作品を学びたい人が、他の作品を学びたい人と、交換的な関係の中で学校/教室を臨時的にでも立ち上げられるならば、そういったモデルをインスピレーションとして持ちうるならば、一定の条件の中で、美術-教育の幅はひろがるのではないか。無論、どこでも誰でも無際限に可能だ、などと大風呂敷を広げるつもりはありません。「私的占領、絵画の論理」が可能である条件はたしかにあります。しかし、ゼロ年代から世間を席巻してきた、新自由主義的な「事業体」「起業」としての私塾やアーティスト・コレクティブ以外の経済構造の選択肢が、改めて検討される時期になっているでしょう。

そんなわけで、辻可愛さんをお呼びしての「私的占領、絵画の論理」第三回は、今週金曜、9月18日に迫ってきました。辻さんの作品に関心のある方、また作品について考え学ぶ、アソシエーション的な「学校」「教室」の在り方に関心がある方、ぜひいらしてください。詳細は以下のリンクから。

一人組立×ART TRACE 共同企画
連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」
第三回「予感を描くことは可能か」 ─ 辻可愛 ─

では、9月18日に、お会いしましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?