連続対談「私的占領、絵画の論理」について。その12「世界に、筆を触覚にして、さわっていく」

前回、僕は有原さんの作品が、マニエラ(言い換えるなら、技術の段取り)に固着せず、毎回の描きにみずみずしい感覚と反省から来る「賭け」がある、と書きました。そしてその秘密に、自らへの「縛り」があるのでは、と予告したのですが、恐らくこの「縛り」と技術の段取りの区別がつきにくい、という絵画制作者は多いと思われます。有原さんの作品は、ここまでとまったく逆のことを言うようですが、絵の成り立ちに明らかなルールがあるように見えるからです。

ART TRACE GALLERY 有原友一

絵を描いたことのある人には、むしろ「徹底して段取りが組まれているのではないか」と見えるかもしれません。この切り分けは、恐らく「技術の段取り」が「効果の生産性」に寄与していることに比べ、有原さんの設定した「縛り」が「効果の禁止」を命じている、というポイントを見定めることで可能になります。

有原友一さんの作品を見ていると、広い色面を一度に塗るという行為はおよそ禁止されています。また、画面の余白が完全になくなってしまうことも避けられているようです。ほかにもいろいろあります。色数の制限、ペインティングナイフを含めた筆以外の描画用具の不使用、厚いマチエールの忌諱、等々。

油彩画は長い歴史をもっていますが、その歴史の大半は、厳格な古典技法の構築を旨としてきました。鉛白による下地に不透明な色彩層を重ね、その上から透明度の高い仕上げ(フィニ)層を構築して、光を不透明層まで引き込み、その反射光を透明度の高い層を通過させることで、まるで絵画が内から光っているように感じさせる。この「光」が、基底的にキリスト教の表象と深い関係を持っていたりもしました。

ヤン・ファン・エイク『ルッカの聖母』

堅牢な画面と輝くような効果は、しかし近代以後むしろ色彩の対比効果やマチエールの多様性といった、より振幅の広い「感覚」の解放──そこには視覚効果だけでなく、触覚を含めた、絵を見る人の知覚全体への解放が行われてきた、と、おおざっぱには言えると思います。

ウィレム・デ・クーニング『Woman I』

しかし、有原作品は、このような近代以後の放埓ともいえる技法的多様性を、あえて禁欲しています。では古典技法に逆戻りしているのかと言えば、それも違うでしょう。古典技法も、近代以後の多様な絵画技法も、個々の技法だけを取り上げてしまえば、それは端的に「観客への効果」に回収されます。古典技法の宝石的な表面の輝き、色彩対比の夢幻性、マチエールの駆使によるインパクト、巨大サイズによるスペクタクル性。こういった効果を十分に発揮するために、画家たちは苦労して「段取り」を組むわけです。

有原さんの作品は、まるでそういった効果を一度全部「かっこにいれる」ところから開始されているように見えます。ごくわずかに自らに許した、画面に対して比較的小さな筆触に現れる、世界への小さな接触の震えのブレを、仔細に観察して、そこに現れている小さな出来事だけに反応する。そしてその反応を反省して、最初の小さな筆触の隣に、もう一つの筆触を慎重に置いていく。

現代美術が年々、スケールを大きくし、明度差を極端に大きくし、彩度と色相を特色絵具で拡大し、モチーフを次々と先端的にし、ひたすら「大声で人を驚かす」競争にあけくれ、選挙演説に近いものになっていくのと反対に、有原友一さんはむしろ徹底して「武器」を制限し、効果を小さくし、ごくわずかな感覚と反省の組み合わせを精緻に計測していきます。言ってみれば、大音響を巨大スピーカーから出しまくっている現代美術と反対に、極小の振動を、微細な花弁に当ててその反響を高感度センサーで感受しているミツバチのような画家が、有原さんなのではないでしょうか。花粉のひとつぶひとつぶを拾い、運び、受粉していく。

このようにして生成された小さな空地の草花の群生は、意外な過激さを持っていると僕は思います。何か目的的に工芸化されていない有原さんの作品は、そのタッチの震えと作品の判断の揺れ動きの結果として、ときに「作品」という枠組みを、ゆるがせているようにも見えるのです。ときおり、「どうしてこの絵は作品として成りたっているのだろう」と考え込んでしまうものがあります。例えば、twitterに投稿されているこんな作品。

この「危なさ」が、伝わるでしょうか。とにかく、実作を見ていただきたいと思います。今回の個展の告知に使われている作品にしても、僕は十分、チャレンジングに見えます。

有原友一「ふるまいとピント」

繰り返しますが、このような鋭敏な感性と、時に絵画のフレームを揺るがすような製作が20年も続いていることに、驚嘆します。真のブラックボックスは、この持続にある。なぜこんなことが可能なのでしょう。6月26日の「私的占領、絵画の論理」では、なるべくこの不思議さを考えるヒントを掘り起こしたいと思っています。

一人組立×ART TRACE 共同企画
連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」
第二回「終わらない描きについて」 ─ 有原友一 ─

ご一緒に、有原さんの作品を考えましょう。


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