連続対談「私的占領、絵画の論理」について。その11「有原さんの絵にはどうして毎回のみずみずしさがあるのか」

有原友一さんが描く絵画では、一枚一枚、その都度ごと、結果がどうなるかわからない「賭け」が行われている。そして、その成否から、有原さんなりの判断基準が析出されてくる。注意すべきは、この判断基準は事前に強固にあるというよりは、半ば事後的に立ち上がってくるのだろう、ということです。どういうことでしょう。

前回、僕は有原さんの作品のキャンバスサイズはある種の恣意性によってえらばれているのではないかと予想しました。この恣意性は、有原さんが作品を書き始めるときの、とても少ない「見込み」、どうなるかわからないにせよまずは一筆を置くための準備として、一種の予感に基づいて選択されていると想像するのですが、ではその恣意性は、作品の最後まで恣意的なのかと言えば、そうではありません。

予感に導かれて張られた一定のサイズのキャンバスは、そこに配置されたタッチの、ひとつづの積み重ねが、単に先行するタッチに「反応」しているだけでなく、先行しているタッチと残っている余白、恣意的に選択されたのかもしれない画面の広さ(フレーム)との関係を「反省」もしたうえで配置されていく結果、タッチとキャンバスサイズが徐々に緊密な結びつきを形成していって、最終的に画面のサイズと内容が「内実」を形成しているのではないでしょうか。いわば、有原さんの作品サイズは、事後的に決断されているのだと思います。「この大きさでよかったのだ」と。

絵のプランが事前に決まっていなくても、その賭けの成否がゆるぎなく決まっているのであれば、実はその賭けの「大きさ」は限定されています。どんどん描いていって判断基準にひっかかったものだけ展示すればよくなるわけです。でも、どうも有原さんの展示を見るとそういう感じがしない。絵の大きさがタッチとの関係で事後的に決まっていくのと同じように、その作品の成否も、描きながら徐々に姿を現し、最終的に「この絵でよかったのだ」と、一枚ごとにジャッジされていっているように見えます。簡単に言えば、個別の作品の成否の基準が、揺れているように感じるのです。従って、展覧会に個々のジャッジ(作品)が並んでみると、まるで一つ一つのタッチが個々に揺らいで震えながら一枚の絵を構成しているように、展覧会場は、一枚一枚の絵が個々にその成立の基盤を揺るがせながら、全体としての空間を構成しているように見えます。

繰り返しますが、このような抽象絵画の描かれ方は近代絵画史上、ある見方からすれば典型的なものでもあります。事前のプランに従わない絵を描いている人からすれば、前回と今回のブログは「当たり前」のことが書いてあるように読めるかもしれません。しかし、そのように感じた方は、ぜひ一度、その自分の当たり前に問い直してみてください。


そのような「賭け」が、しかしルーチン化していないでしょうか?

完成した設計図などない、と言いながら、おおよそ自分の「スタイル」から「成果」が見込めていないでしょうか?

一筆ごとのタッチが、しかし既に「技法」として完成していていないでしょうか? つまり、筆触の視覚的効果が先取りされてパターン化していないでしょうか?

従って、「失敗」は常に最小化されるように計算され、安定的な作品が生産されていないでしょうか?


当然、誰でも子供みたいに毎回一からむやみやたらと絵具をぶちまけていたら、それは「賭け」というよりは単なる混乱です。ネコがピアノの鍵盤の上を歩いて出した音のつながりが、たしかに設計図には従っていなくとも「音楽」にはならないように、無意味な冒険は原理的に無意味な結果しか残しません。画家は、歴史上の絵画からある道を選びますし、またその道の先を、個々の技術(メチエ)と、「よきものへの予感」を携えて白い画面に向かうのですから。しかし、同時に、そのような学びと経験が、いつしかパターン化し、成果を予想しやすくし、無駄が無くなり、従って固定化してしまうこともまた、往々にあることです。このようなマニエリズム(マンネリズム)を「洗練」と称して合法化してしまう作家は多くいます。

有原友一さんの作品は、どうして毎回毎回のみずみずしさがあるのか。どうして一つのタッチの置き方に、繊細な神経が宿り続けるのか。長い製作の積み重ねが固定化に結び付かないのか。大きな謎ですが、そこに、逆説的ながら「自由」の封印があるように見えます。自らを強固に縛ることで反対に小さな感覚の動きを見逃さないようにしているのではないか、という暫定的な見通しについて、もう一回だけ記事を書いて、26日の対談に備えようと思います。

一人組立×ART TRACE 共同企画
連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」
第二回「終わらない描きについて」 ─ 有原友一 ─

(続く)

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