脱毛記12

 近衛軍を蹴散らした後、看護師は再びレーザー兵器を手に取った。これまでとは異なり、今回の攻撃は人体最大の急所に向けて行われる。看護師は慎重にレーザーの出力を確認すると、おもむろにその破壊兵器を天守周辺にあてがった。

「いきますよ、せーの!」

 ちょっと、待て、なんだそのかけ声は!? 

 混乱する私をよそに、看護師は一気に引き金を引いた。

ドシュッ! 

ぐへっ!

 冷気と共にレーザーが我が玉体めがけて放たれた。激痛を覚悟し、自然と身体に力が入る。だが、思ったよりも痛みは少ない。どうやら、出力を少し落としているようだ。

ドシュッ! ドシュッ!

ぐへっ! ぐへっ!

 これまでとは違い、一発ずつの間隔が長い。玉を守りながら、攻撃範囲を決めるために、慎重に狙いを付けているようだ。うまく手の中で玉を逃がしながら、表面に断続的な攻撃を加えている印象だ。変な声が漏れそうになるが、ぐっとこらえる。その部分以外の全身から妙な汗がにじむ。暑いのか寒いのかさっぱり分からない。ただひたすらに早く終われかしと祈る。

 隣でも、ドシュドシュという音が聞こえる。部位は分からないが、ご同輩もレーザーを浴びているのだろう。「お互い大変ですな」という不思議な連帯感が生まれる。立場は違えど、共に脱毛を志す同志である。世界全体での革命を目指した、トロツキーもこんな気分だったに違いない。後にスターリンによって粛正されるが、私にはトロツキーの気持ちがよく分かる。革命軍として、ツァーリ軍を葬ろうと戦っているのだ。仲間は少しでも多い方が心強い。
 
 もちろん、脱毛は個人の戦いだが、それでも一人で戦っているのではないと感じられることは、大変にうれしいことだ。トロツキーが革命を輸出しようとしたのも頷ける。もしかすると、カストロと袂を分かってまで単身ボリビアでの革命を志したチェ・ゲバラも同じような心境だったのかもしれない。

 ふと、気付くと、私に向けて放たれるレーザー音と、隣のブースのレーザー音がリズミカルに共鳴していた。こちらの発射に併せて、隣が合いの手のように発射している。文字で書くとこんな感じだ。

ドシュ!
(どしゅ!)
ドシュ!
(どしゅ!)
ドシュ!
(どしゅ!)

 こちらが発射するとすかさずあちらも発射する。どうしても、2拍子というのは共鳴しやすいが、これでは餅つきである。看護師もタイミングが取りやすいのだろうか。テンポ良く刻まれるビートを聴いていると、頭の中で「DA PUMP」の曲が流れてくる。こんな感じだ。

〽も~しも~(ドシュ!) キミが~(ドシュ!) いないなら~(ドシュ!どしゅ!)

いかん、曲が止まらなくなってしまった。ドシュ!どしゅ!のタイミングが絶妙すぎて、頭の中でISSAが絶好調で歌い、そして踊っている。そして、悪いことに、私はこの曲のこの部分しか知らない。そのあとは、「〽迷わ~ずqあsdfghjkl」みたいな感じで、茫漠とした霧の中に言葉が吸い込まれていく。何か違うことを考えたくても、耳から否応無しにドシュ!どしゅ!のリズムが入ってくるため、全く音楽が鳴りやまない。参ったなあ。

 なんとか、違う音楽にしようとあれこれやってみたが、結局、〽も~しも~に戻って来てしまう。もう、これはあきらめて流れに身を任せるしかない。余計なことを考えなくて済む分、痛みは大分抑えられている感じがする。もう何がなんだかわからない。ちょっとしたトリップ状態である。

 考えてみれば、昼間から都心のど真ん中で下半身を露出し、局部にレーザーを当てられているのである。非日常といえば、これほど非日常なこともあるまい。「終わりなき日常を生きろ」とは社会学者の宮代真治の言葉だが、脱毛をすれば、そんな言説は一瞬にして吹き飛ばせる。圧倒的非日常感である。ドキドキする、いや、ヒリヒリする。この感覚たまらない。

ドシュ!
(どしゅ!)

 レーザー攻撃は続く。やはり、部位によっては痛みが激しいところがある。個人的には、天守閣の麓部分が、一番痛みが強かった。近衛軍が集中して守る場所だからだろう。その意味では、玉体周辺は兵力が密集していないため、そこまで抵抗は激しくない。個々の兵は精強なれど、いかんせん寡兵であるから、散発的に反撃を試みては各個撃破されていく。

 玉体はその間も、看護師によってあっちに転がされ、こっちに追いやられと、翻弄されっぱなしである。そんな感じも、中世から近代に見る我が国の天皇の在り方と重なる。極めて不敬な状況下ではあるが、時代に長く翻弄されてきた当時の天皇の大御心に、臣として深く思いを馳せるのであった。

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