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散財記③ エルメス シェーヌ・ダンクル GM13

 「一生モノ」と言い訳をして買った数多の品の中から、本当にお気に入りの一品を紹介する散財記。3回目は、エルメスのシェーヌ・ダンクル だ。

昔から、シルバーアクセサリーが好きだった。

そもそもの始まりは、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズである。彼が右手の薬指にしているドクロのリングが欲しくてたまらなかった。今を去ること25年前の春である。

宇多田ヒカルがファーストアルバムで日本の音楽シーンを席巻しようとしていた頃だ。広末涼子が早稲田大学に入学したことで、話題を攫った時期でもある。

当時、私はT県(横山秀夫風)から大学入学に伴って単身上京していた。村上の春樹さんが一時身を寄せた文京区目白台の学生寮で暮らしながら、なぜか遥か彼方の市部の大学に通うという日々を過ごしていた。大学の近くで下宿でもすれば良かったのだが、その寮について特集したNHK Sを祖母が観ていて、入塾願書を取り寄せてくれたのだ。

一人っ子の孫に、寮生活でたくさんの友人と社会性を身につけて欲しいという祖母の願いだったのだが、そんな思いはつゆ知らず、私はひたすらキースがつけているリングはどこのブランドのものなのか、ということを調べ続けていた。

今思えば、実に不毛である。しかし、実に豊かな時間であった。

結論から言うと、全く分からなかった。そりゃあそうである。実際は、どこかのブランドが市販している商品ではなくて、キースの友人のコーツさんとハケットさんが、誕生日プレゼントに作った一点モノだったのだから。(その後、キースリングと同じモチーフのドクロを使って作られたという品が「デスヘッドリング」という物騒な名前で市販された)

その調査の過程で出会ったのが、「クレイジーピッグ」というブランドである。ロンドンで創設されたブランドで、かのキース・リチャーズがつけているという触れ込みのドクロリングもあった。名前は、「ラージエビルスカルリング」という。

「これだ!」といきりたって販売店やら値段やらを調べた結果、半年後にめでたく購入することに相なった。大学時代はずっとこれをつけていた。名前の通り、デカいのだが、キースがつけているというその一点だけが支えだった。今思えば、可愛らしいことである。まぁ、キースはつけていないのだが。

いずれにせよ、そこからシルバー遍歴が始まった。件のクレイジーピッグでは、他にもつけると指の骨がぐるっと指を取り囲むような「ボーンハンドリング」だとか、さる日本のロックバンドのベーシストがつけているという「レモラリング」だとか、色々購入した。

興味は他のブランドにも向き、お馴染みのクロムハーツ兄貴とか、ティファニー姉貴とか、グッチ先輩とか、ひたすら銀製品を買い集めていた。指は10本しかないのに、お前は何本の腕にそれをつけるのだ?というくらいの品を持っていた。

両手にデカいリングをギッシリつけている方を見かけると、あの頃の自分を思い出して甘酸っぱい気持ちになる。なんなら、パブに誘って、アイリッシュビールの1杯も奢りたくなる。話が合わなすぎて、すぐに後悔するんだろうけれど。

さて、「シェーヌ・ダンクル」である。かの「エルメス」の製品である。「ラージエビルスカルリング」にホクホクしていた身からすると、ほとんど宗旨替えである。内村鑑三的にいえば、「余は如何にして愛馬仕所有者となりし乎」と言ったところだろう。

これには深い訳がある。

購入したのは、社会人になって20年目を迎えようとしていた時期である。当時はかなり厄介な海外仕事を終わらせて帰国したばかりで、パーッと散財したい気持ちが高まっていた。自分に言い訳をしてモノを買うというのは資本主義に生きる我々(と言うか我)のお約束だが、その時は相当疲れていたこともあって、生半可な消費では満足ができそうになかった。

久しぶりの畳に寝っ転がりながら、ボケーッと「何を買おうかなぁ」と考えていると、ふっとこんな言葉が降りてきた。

「そうだ、エルメス買おう」

どこかで聞いたような言葉だが、その時の私にはまさに天啓だった。余計な天啓もあったものである。おそらく、「LEON」か何かでエルメスについて読んだ記憶が、脳内シナプスの発火によって、意識の表面にプカリと浮かび上がったものであろう。世の中の天啓とは得てして、そんなものである。我々(繰り返すが我)は小泉進次郎を笑えない。

調べて見ると、エルメスのアクセはなかなか買えないことで有名らしい。特にシェーヌ・ダンクルは人気が高く、サイズによっては1年待ちになることもあるそうな。しかも、何度も通って店員に顔を覚えられないと、売ってもらえない製品もあるのだとか。バーキンとかバーキンとかバーキンとか、独禁法で揉めるレベルで買えないらしい。

資本主義の申し子みたいなブランドなのに、モノを売らないとはこはいかに? 

傍のiPhone13miniをシュシュっと操作してエルメスのサイトに飛ぶ。確かに、いくらスクロールしても、シェーヌダンクルは紹介されてすらいない。

もしかしたら、都市伝説は本当なのか?

俄然、興味が掻き立てられた私は、寝転んでいた畳からガバと跳ね起き、イソイソと身支度を整えると、一路、エルメスの店舗に向かったのであった。

最初に訪ねたのは、丸の内の路面店である。これまで全く用がなかったので、あまり意識していなかったが、なんとなく凄みのようなものを感じる。入ったら最後、何か買わなければ出られないような、そんな雰囲気がバッシバシに漂っていて、店の前でしばし躊躇する。

老舗ブランドのオーラとは、かくもすごいものナリか?

いかん、コロ助になっている場合ではない。私は意を決して人生初のエルメスに足を踏み入れた。

オレンジを基調とした店内は、ガラスケースに入れられた商品が美しく並べられていた。そこにあったのは、マルクスが言う交換価値を持った資本主義的物質ではなく、富と成功の象徴であった。ドストエフスキーは「貨幣は鋳造された自由である」との名言を残したが、主語をエルメスにして、目的語を「富と成功」にしてもそのまま通じそうである。

と、偉そうに書いてはみたものの、正直、何が売られていたのかさっぱり覚えていない。というのも、店に足を踏み入れるやいなや店員が光の速さで寄ってきて、

“May I help you with anything?“

的なことを流暢な日本語で話したからだ。吾輩の風体が富とも成功とも縁遠い感じであったかもしれぬ。

単にエルメスの基本的な接客姿勢なのかもしれないが、普段、誰かに丁寧に接してもらうことが少ない(というかほぼ無い)初老男性としては、どことなく居心地が悪い。真剣の立ち合いで、刀を抜く前にいきなり間合いを詰められた感じである。

とはいえ、接客してくれるのはありがたい。こちらもにこやかに、

“Hello, I'm interested in purchasing some of your merchandise."

みたいなことを完璧な日本語で伝える。

すると店員氏は、

“ Thank you. Which item are you looking for ?”  

と応じたので、私はにっこりと微笑みながら、

“Chaine d'ancre“

となめらかに発音した。

単に「錨の鎖」みたいな意味らしいが、フランス語になると圧倒的なオシャレ感が漂うのはなぜだらう。岡本かの子的なパリへの憧れが、日本人には備わっているのだろうか。「おフランス帰りザマス」みたいな。

いずれにせよ、私が錨の鎖を所望していることを知った店員氏はちょっと悲しげな顔をして、「大変申し訳ありません。シェーヌダンクルはとても人気がございまして、ご注文いただく形になります」と言った。

このまま情景描写をし続けると、文字数がいくらあっても足りないので、会話だけを簡潔に記すことにする。

「もちろんいいですよ。特段、急いでいる訳でも無いので」
「ありがとうございます。ただ、注文も現在100人近くお待ちいただいておりまして、お手元に届くまで2年ほどかかってしまう可能性があるのですが……」
「2年ですか⁉︎ さすがに長いですね。他のお店も同じような状況なのですか?」
「他店のことは分かりかねますが、世界的に品薄が続いております。ただ、お店によって予約の状況は異なります」
「なるほど。では、他のお店も回ってみます」
「わかりました。シェーヌダンクルのサイズはお決まりですか?」
「大きさはGMで、駒数はちょっとわからないです。測ってもらうことはできますか?」
「もちろんです」

そう言って、店員氏に測ってもらった結果、私の腕には「GM13」がピッタリだということになった。ちなみに、お店に見本はなく、メジャーでピッと測ってもらった。

念の為に捕捉するが、シェーヌダンクルは、その名の通り、船の錨を繋いでいる鎖のような形をしている。それぞれの鎖の輪の中には、一本棒が通っており、エルメスのHみたいな形になっている。このコマの大きさがいくつかあるのだが、私が選んだGMは、上から2番目に大きなサイズである。そして、腕の太さに応じてコマ数が決まる。私の場合、その数は13コマが良いということだったので、私のサイズはGM13ということになる。以上捕捉終わり。

悪いことに、私のサイズは一番人気らしく、さらに待たされる可能性があると言う。まあ、待つのはそんなに苦ではないし、そもそも、この瞬間になければ生活が立ち行かなくなる性質のモノでもない。とはいえ、2年は長すぎるので、接客してくれた店員さんに丁寧にお礼を言って、次の店舗に向かうことにする。

さて、次に向かったのが、日本橋・三越である。今ではだいぶ廃れたようだが、私が幼少の頃は、高級なものはほとんど全て百貨店にしか売っていなかった。T県出身だからかもしれないが、三越や高島屋、伊勢丹というお店には今でもなんとなく恐れ多いものを感じる。売っているものが高いモノばかりだったからね。

今では立川の某百貨店みたいに、かなり庶民的な店も多いようだけど、百貨店には頑張って高級路線を貫いて欲しいと思う。(なかなか貢献は出来ないけれど、心の声援は惜しみません)

そんな訳で三越のエルメスに入ろうと思ったのだが、すでに何人かが外で待っている。店側もご丁寧に椅子なんぞ用意して、どうぞお寛ぎください的雰囲気がビシバシ漂っている。どうやら、入場制限というか、人数制限をしているらしい。

確かにそんなに広大なスペースという訳でもないし、大勢が一気に突入したら、店員さんも大変だよね。そう思って、素直に順番を待つことにする。何だか、どこに行っても順番を待っているような気がする今日この頃である。

 世の中には、エルメスの平和と安全を自主的に守るために店を巡回する「エルメスパトロール」、通称「エルパト」という行為が存在するそうだが、私の前にいる人たちもそんなボランタリーな方々なのだろうか。

そんなことを思いながら、待つことおよそ20分、ようやく私の順番が来た。中に入ると、素敵なモノがたくさん売っていそうな感じだったが、スカーフ1枚1000ドルからみたいなマッドマックスな世界なので、もう何も見ずに真っ直ぐ店員さんの所へ向かう。

「シェーヌダンクルを探しているのですが?」
「予約になりますが、よろしいですか?」
「構いません」
「サイズとコマ数はお決まりですか?」
「GMの13でお願いします」
「そのサイズは世界的に人気が高くて、入荷まで1年ほどかかりますが、よろしいですか?」
「構いません」
「わかりました。では、お掛けください」

ここまで体感でおよそ40秒である。圧倒的なスピードである。何事も事前準備が大事だということを思い起こさせてくれる。

スツールに座って待っていると、先ほどの店員さんがìPhone Pro Max みたいな機種を持って戻ってきた。必要事項をここに入力せよ、ということをエルメス的慎ましさで包まれた日本語で私に伝える。もっと庶民的な店だと、ペリペリと剥がせる2枚綴のカーボン紙にボールペイントペンか何かでゴリゴリと筆圧高めに必要事項を記入するのだろうがさすがはエルメスである。伊達にアップルとコラボ商品を出していないだけのことはある。

特段、反対する理由もないので、画面を操作しシュシュシュッと情報をフリック入力する。店員さんが手持ち無沙汰にしているのが、なんとなく申し訳ない。ただね、いくら速く入力するにも限界があるのよ。キーボードがあるならともかくさ。

そんなこんなで、名前やら住所やら連絡先やらを入力し、店員さんに端末を返す。店員さんはシュババッと内容を確認すると、「では、入荷しましたらご連絡します」とだけ言って、恭しく頭を下げた。

つられて、こちらも頭を下げる。どうやら、これで終わりらしい。庶民的な店なら、紙に記載された予約番号とかその手のモノを渡されるところだが、さすがはエルメスである。紙なんざ使わないのである。DXである。未だにファックスが最強の連絡手段となっている昭和枯れススキ的業界で働いているせいか、なんとなく落ち着かない感じがする。久しぶりに散髪し、襟足の辺りをスーッと風が通り抜けていくのを感じた時に似ている。清々しさと心許なさが同居しているというかな。

とりあえず、予約ができたということで、その日は適当に祝杯をあげて、早く寝た。本質的には一歩も前に進んでいないのだが、何か大きな仕事を成し遂げたような気がする。しばし、スタートアップのキックオフパーティーの気分を味わう。

エルメスから連絡が来たのは、それからおよそ半年後のことであった。

思ったよりも早い。入荷したから、適宜取りに来いという。こちらとしても何の異存もない。光の速さで三越に向かった。自警団の姿はなく、待ち時間ゼロで店に入れた。別の店を回っているのだろう。

さて、シェーヌダンクルである。手首の太さを測ったときも、予約した時も、本物を見ることはなかったので、今回が初対面である。

見た目はもう、鎖である。シンプルに鎖が繋がっている。クロムハーツなら全てに蔦が絡まったような模様をこれでもかと刻み込むのだろうが、極めてシンプルな造作である。

そして、思ったよりもピカピカしている。もう、ピッカピカである。「小学生かよ!」と突っ込まれそうだが、実際がそうなのだから仕方ない。これまで、シルバーといえば、クレイジーピッグとかクロムハーツとか燻銀的なアクセサリーばかり見てきたせいだろう。正直に言って、ここまで輝いているシルバーは生まれて初めて見た。

「どうぞお試し下さい」
店員さんに勧められて恐る恐る腕に巻いてみる。シェーヌダンクル(C.D)は、T字型のバーを円形のパーツの中に通すことで固定する。これがやってみるとなかなか難しい。Tバーを通そうとするのだが、どうにもうまくはまらない。特に、店員さんからじっと観察されていると尚更である。なにぶん、初めてのことじゃから。

それでも、なんとか、腕にはめてみる。手首にぴったりという訳ではなく、5センチほど動く。店員さんによると、付け外しの時にTバーを引っ張る必要があるため、少し余裕を持たせる必要があるそうだ。そのため、腕を動かすとC.Dがチャラチャラと動き、手首に表情が生まれる。手首の骨に引っ掛ける感じで緩く止まっている感じが、なんともいえず粋である。腕を動かすたび、照明を反射してキラキラと輝く感じも好もしい。

こうなると、もう悩むだけ時間の無駄である。

「下さい」
「わかりました」

ここまで約5分である。一般的に、ある商品を購入するまでの時間は、その商品の値段に正比例するのだが、プロの散財家にその法則は当てはまらない。値段が高かろうと安かろうと、常に5分以内に決断を下せるかどうかが、アマチュアとプロの境目なのだ。

そんなわけで、めでたくC.Dを手に入れてエルメスオーナーとなった。それからは、比喩ではなく実際に毎日付けて暮らしている。高いモノだからと死蔵するのは散財家として失格である。

よく、高級なモノを買うと、大事にするあまり使わないでしまっておくタイプの方がいるが、私に言わせれば本末転倒である。人間がモノに気を使うというのでは、主従関係が逆転している。犬の躾と一緒で、どっちが主人なのかを最初に分からせないとダメなのだ。

私もアマチュア時代は、しばしばその過ちを犯していた。大事にしすぎていて使えないというやつね。わかるけどそれではプロにはなれない。もちろん、大事に使うのは当たり前のことだが、本来の輝きを発揮させないのでは、プロ失格である。使わないなら、そのモノが生まれてきた意味も無いのではないだろうか。

余談だが、シルバーは使い込めば使い込むほどカッコよくなる素材だと思う。現代アートではないが、持ち主が使って行くことで製品として完成するのだ。逆にいえば、新品の頃はちょっと気恥ずかしい。真っ白なおろしたてのスニーカーを履いているような、どこか借り物を付けているような、そんな感じがする。

そんな訳で、CDもガンガン使っている。ガンガン使いすぎて傷だらけだが、それも味である。それぞれ傷を見ると、その時の様子が自然と浮かんでくる。

雨の日に次女を幼稚園に送った際に落として出来た傷、酔っ払って河川敷でスケボーをしてすっ転んだ時の傷、デスクワークをしている際に擦れて出来た傷……。

その一つ一つが掛け替えの無い日々の記録であり、記憶なのだ。



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