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「週刊金曜日」(2023年12月15日号)に豊﨑由美『時評書評』(教育評論社)の書評を書きました。

本書の裏打ちにあるのは、文学への揺るぎない信頼だ。

と、書評に書いた。同時にこの本を貫いているのは、社会への鋭い疑いの眼差しでもある。

ここには、僕らがいま立つ世界に対する豊﨑さんの疑念がいっぱい書かれている。東京五輪の問題。独裁者プーチンのこと。わかりやすい言葉にすぐ共感する社会について、自分を含めたみんなのなかに巣食うおっさん性……。そうした疑念を抱かせるような世界は、僕たちの視界から光を奪うけれども、豊﨑さんは文学を読み解く勇ましい書評の言葉で、より強い灯火をともす。

ダニエル・アラルコン『ロスト・シティ・レディオ』を読んで、豊﨑さんは書く。

民主主義を希求するミャンマーの皆さんが軍事政権に打ち克つ日が、近い将来きっと訪れるにちがいないと信じたい気持ちの一方で、『ロスト・シティ・レディオ』で描かれているような内戦が残す傷と禍根や、ニカラグアに見ることができる同胞同士の争いがまた新たな骨肉の争いを生む状況から無縁でありますようにと、そんな心配が杞憂でありますようにと、祈らずにはいられません。

アリ・スミス『秋』を読んで、豊﨑さんは書く。

イギリスにおけるような社会変化は、日本においても決定的でありましょう。でも、立ち止まって考えてみると、これまでだって社会は変化しつづけ、わたしたちは変化を経験しつづけてきたわけです。そのさなかにあって、混乱する大勢の〝わたし〟を支えてくれたのはなんだったのか。誰かに向ける愛情や、記憶や、思考停止しない姿勢のはずです。ダニエルとエリザベスは、小説世界の中で、急流の中にあって流されることなく立ちつづけるためのその姿勢を見せてくれています。『秋』という作品が描いているのは、国民投票によって生じてしまう分断に対する不安だけではありません。そこに立ち向かうための心の在り方なのです。夢や理想の効用なのです。

ドナ・タート『ゴールドフィンチ』を読んで、豊﨑さんは書く。

わたしたちは生きている限り、途上に在ります。かつて起きたこと、今起こっていることの本当の結果は、生きている間においては生まれ得ないのではないか。悪い出来事もいつかこの途上で仮定としての良い結果を生むかもしれない。良い結果だと思って安心していたら、再び悪い方向に向かってしまうかもしれない。だから、わたしたちは常に自分の内面を見つめつづけていなければならないし、起きた出来事について考えつづけなければならない。(……)そんなことを、わたしはこの小説を読んで学んだ気がしています。

文学に対する愚直なまでの信頼。豊﨑さんの書評はいつだって、それが中核にあるものだった。いや、書評だけじゃない。豊﨑由美という人は、どんなときもそれを握って忘れない、そんな書評家だ。

僕が豊﨑さんと初めて会ったのは、十年前。Twitter文学賞の黎明期にあって、そのこころざしに心を強く掴まれていた僕は、同賞事務局のTwitterアカウントにDMを送って、お手伝いさせてください、と言った。新卒で入った会社を辞め、ライターとして駆け出したばかりだった僕に、じゃあ、発表会を中継するコラムニストの石原壮一郎さん宅に遊びにきてくださいと事務局の人が返事をしてくれた。

もちろん誰とも面識がなく、緊張を隠せない僕を、Twitter文学賞関係者の方々は快く受け入れてくれた。そこで豊﨑さんの書評講座があることを知った。翌月から、寝ても覚めても飲み会でも、書評のことばかり考えている奇妙なグループに仲間入りすることになった。

豊﨑さんの書評講座のことを話すと、先生は厳しいですか、とか、添削がびっしり入るんですか、とか言われるけど、たぶんそう訊く人たちが想像している場所とは少し違う。あそこは、提出された無記名の書評を読み、みんなで平台にのって、書評について考える場だ。豊﨑さんの書評にきつくダメ出しをすることもあるし、豊﨑さんの意見が絶対なんてことはもちろんない。忖度抜きで、書評を讃え、批判し、自分の考えを磨く場が、豊崎さんの書評講座だ。(だからもちろん、僕と豊﨑さんや他の講座生の書評観は異なるし、それを受け入れる、よく肥えた土壌があそこにはあった。)

で、あそこで過ごした日々で、僕が感じたのはやっぱり豊﨑さんの文学に対する根強い信頼だった。僕が参加していた頃は15時くらいに講座が始まり、17時半に終わり、そこから飲み会があり、気づくと24時近く。その間、ずーっと、書評や文学の話をしている空間は、そんな豊﨑さんの想いやそれに共鳴する講座生の熱意がなければ成り立たない。というか、それがなければ、20年以上も書評講座をやりつづけるなんてできっこないだろう。

今回、『時評書評』を読んで、そんなことを思い出した。しかし、書評集に重版かかるこの世界も、決して捨てたもんじゃないですね。

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