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「週刊金曜日」(2024年6月21号)にキム・フン『ハルビン』(蓮池薫訳、新潮社)の書評を書きました。

 キム・フンは日本でもすでにいくつか小説が紹介されていますね。わかる範囲で挙げると『孤将』(蓮池薫訳、新潮社、2005年)、『黒山』(戸田郁子訳、クオン、2020年)、『火葬』(柳美佐訳、クオン、2023年)なんかがあります。韓国国内では歴史を題材にした小説で高く評価された大御所作家として読まれているようで、以前、韓国の文壇に精通している知り合いに、韓国版の宮本輝って言えば日本の読者にはわかりやすいかも、と教えてもらったのをおぼえています。

 キム・ フンの語りには独特の静けさがあります。端正で、どこか淡々とした印象を与える叙述。静寂な言葉に時代を動かした人物の情動をまとわせ、歴史の深部へと潜り込む。刃こぼれを許さないほどに頑強な言葉で、そこにたたずむ人々の心を覗き込む。それは日本での最新作『ハルビン』でも例外ではありません。本作の中心にいるのは、韓日の歴史上、最も有名な暗殺者である安重根。彼の実存的な深みを捉えた作者は、そこに何を見たのか。

〈この世界は人間が作る構造物だ〉と説く伊藤博文は、植民地の文明を強引に開化させ、略奪と蹂躙からなる和平をそこに築くことを計画した。日本の帝国主義を象徴する男の非道さを前にして〈ここはすでに伊藤の世の中だ〉と考える安重根は、だから、暗殺をたくらむ。力で鋳造された世界に生きることの苦しみを広く訴えるにはその方法しかない――そんな思念が彼を導く先を、近代的な暴力が生む虚無を見透かすまなざしで、作者は鋭く見つめるのです。

 書評は次の文章で締めました。

 西にも東にも線路が延びるハルビンの駅。近代主義の交差点である当地にたどり着いた安重根は、言葉を弾倉に込める。作者は引き金に指をかける。そして小説は近代の虚妄を撃ち抜いた言葉を現代に蘇らせる。そうした歴史との精妙な対峙に、畏怖の念を抱かせる一冊だ。

 黒川創『暗殺者たち』(新潮社)をはじめ、日本の作家が伊藤博文と安重根の生と思想を見つめながら綴った小説を、僕はこれまでいくつか読んできました。しかし韓国の内側に立って、安重根のまなざしから伊藤博文暗殺事件を描いた小説は初めてです。近代的な帝国主義が膨張した先に起きたあのテロルの捉え方の違いを、自分なりにもう少し考えてみたいと思います。

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