サッカー監督の仕事って…(2007/11/20)

記事の初公開日:2007年 11月 20日

昨夜TVのスポーツニュースをつけっぱなしで本を読んでいたら、やたらと「○○ジャパン」というアナウンスが聞こえてくる。チョイ見するとバレーボール。ついにバレーボールでも代表チームを監督名を取って○○ジャパンというようになったか。
代表チームを「○○ジャパン」と監督名をとって呼ぶようになったのは、私が知る限りサッカーが始まりではなかったか。トルシエあたりから?それともジーコのころから?その後野球でもいつのまにかナガシマジャパンとかホシノジャパン(オシムジャパンとまぎらわしい)とか呼んでいる。そしてついにバレーボールも監督名ジャパンになったようだ。
それほど代表チームは監督がトップスター。
私個人は、監督がもっとも注目を浴びるのはおかしいと思っている。スポーツはあくまでも選手が中心のものであって、監督はその影で光るべき存在なのだと。しかし、なぜか日本でだけはそうじゃないようだ。選手は駒のひとつであって、監督の力量采配がもっとも大事というような風潮が日本のサッカージャーナリズムにもサッカー評論家にも愛好者にもあるようだ。


日本のサッカー界でもっとも注目されたスター監督が倒れた。
代表監督はたいへんなストレスをともなうものだという。さっそく、次の監督はだれかとの話もあがってきている。
そもそもサッカーの監督というのはどのような仕事なのだろう、そういえば私はサッカー監督の仕事を漠然としかとらえていない。
監督といえば、すぐに「戦術」がどうだという話になるが、私には、それよりもそもそも「監督の役割というのは、なんだろう?」という疑問があった。監督のクラブチームでの立場とか、チームを機能させるための監督の資質というのも興味があった。

そこで、チェックしたのが「サッカー監督はつらいよ」 平野 史 著という本。

なかなかでもおもしろかった。J氏という架空の人物を設定して、J1クラブチームからの監督就任の打診がきたところから、1シーズンを終えるまでの監督の仕事を多角的に紹介しているところ。監督はピッチ上以外にもいかに多くの仕事があることか!
代表チームとのせめぎあいや、新戦力選手や構造外選手への根回し、さらにはスポンサーやフロントとの付き合いもある。心労は絶えない。
代表監督となると、さらに大きなプレッシャーがかかるのだろう。

監督事情ではないが、日本独特の事情もでてきて興味深かった。
たとえば、選手の年俸問題や契約。日本の選手はほとんどが単年契約らしい。そこで、翌シーズンに向けて構想外選手にはゼロ円回答が突然伝えられることになるようだ。ところがヨーロッパなど海外のリーグでは、複数年契約が一般的だという。構想外になる場合は、契約更新の1年や半年前に代理人に伝えられ、代理人は選手がそのチームでプレーしている間に移籍先を探すことができるようになっているのがあたりまえなのだ。サッカー選手への尊敬の度合いの差を見せられたような気がする。日本のもっと選手や監督の身分保障について考えるべきではないのかな。

オシム監督のことで、サッカー選手や監督が生身の人間であることが、ひしひしと感じた。自分の身体を気遣うよりもチームのためと公言し、満身創痍になってプレーする選手や監督たちに改めて感謝の気持ちを伝えたい。

オシム監督が不在でも、きちんと自己管理しプレーを磨くことを毎日続けられる選手たちが現在の日本代表たちだ。海外にいる選手も日本の選手も、それ以前の代表選手に比べると努力と精進の似合う選手ばかり。そして、見得やはったりやうそっぱちのない選手たち。その意味では、本当の意味で成熟した人物たちをオシム監督は代表に選んでいるのだと感心した。もし、オシム監督が代表監督を離れても、彼らを選んで育ててくれたことが一番の収穫なんじゃないだろうか。本当の意味での育成を見せてくれたんだと、改めて思った。
今の代表たちなら、大丈夫。そんな気がする。


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