SIEMPRE CON NOSOTROS(いつも僕たちと一緒に) (2010/12/22付)


記事の初公開日:2010年 12月 22日
今年を振り返る映像が放映される時期になった。
今年はW杯の映像もたくさん流れることだろう。印象的なのは決勝でゴールしたイニエスタがユニフォームを脱いでアピールしたシーン。
イニエスタのアンダーシャツに書かれていたメッセージは、「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS」(ダニ・ハルケいつも一緒だ)。昨年8月に急逝したエスパニョールのキャプテンダニエル・ハルケと一緒に戦っていたんだよということなんだね。
ハルケの死は、中村俊輔ファンの私にも大きな衝撃だった。
イタリアでのキャンプ中のできごとで、俊輔も彼の死の場に居合わせている。「その場に居合わせてもなにもできない。戸惑っている」という俊輔の言葉に、突然チームメイトの死の場におかれた衝撃の大きさを感じた。ハルケの死は俊輔の心の奥にも何らかの影響を残したと思う。プロならそんなことは切り替えなければという人もいるが、それほど簡単に切り替えられるものだろうか。人の死の衝撃を心の奥に持ち続けている人間らしさはプロスポーツ選手には無用のものだろうか。
チームメイトになったばかりの俊輔がそれほど衝撃を受けていたのだから、ユース時代から友達だったイニエスタたちはどんなに悲しんだことだろう。だからこそ、イニエスタのアンダーシャツのメッセージは心に沁みた。

ただ、もう1人、亡き友へのメッセージをアピールした選手がいたことを日本のサッカージャーナリストもメディアも取り上げてくれなかったのが残念だった。

その選手は右サイドバックのセルヒオ・ラモス。
SIEMPRE CON NOSOTROS(いつも僕たちと一緒に)

優勝が決まると彼の腰には白いTシャツが巻かれた。
Tシャツには顔写真が転写されている。そして「SIEMPRE CON NOSOTROS」(いつも僕たちと一緒に)の文字。
顔写真はアントニオ・プエルタ・ペレス。セビージャのMF。2006年にはスペイン代表にも選ばれた選手。2007年8月、シーズン開幕戦のピッチ上で突然倒れ、病院に運ばれたが帰らぬ人になってしまった。22歳だった。日本でもサッカー番組やスポーツニュースなどで彼が倒れる映像が流れた。
レアルマドリード所属のセルヒオ・ラモスもセビージャ出身。カンテラ時代にプエルタと一緒にプレーしてきた間柄。
セルヒオ・ラモスが「SIEMPRE CON NOSOTROS」のTシャツをアピールしたのは、今回が初めてではない。2008ユーロで優勝した時にも、このTシャツを着ていた。
2007年のプエルタの死から、2008年のユーロ、2010W杯まで、ずーっと「いつも一緒だよ」と思い続けてきた証。
彼らのアピールは、話題のためのパフォーマンスではなく、本当に深く友の死を受け止め、その痛みを心に宿し続けてきていることを物語る。
セルヒオ・ラモスの代表背番号15はプエルタの背番号を受け継いだものらしい。
熱くなるとすぐ切れるおばか顔のイケメン、などと評されているセルヒオ・ラモスだが、顔に似合わず温かくて素朴なのだ。

イニエスタなら美談になるが、セルヒオ・ラモスは美談になりにくいと思われたのかなあ。
ラモスファンとしては、ちょっと残念だった。

このように、W杯は表舞台にでたものばかりが素晴らしいのではない。
舞台裏で、フレームの外でも、心に残るエピソードがたくさんあったはず。
そんな物語を伝えてくれる媒体が少なくなった。
勝ち負けがすべてという世評の中では、小さなエピソードは意味のないものになってしまったのだろうか。

そうそう、さらにもう1人メッセージを書いていた選手がいたそうな。
ヘスス・ナバスもプエルタへのメッセージをアンダーウエアに書いていたと、スペイン通が教えてくれた。

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