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76年目の8月9日、身近な歴史の証人

今年も8月9日を迎えた。原爆が投下されて76年目。ありがたいことに被爆者の母は今も存命だし、被爆二世となる私も普通に日々を送っている。

今住んでいるところは爆心地から半径約2キロのところ。爆風や火災によってほぼ瓦礫となってしまった地域。
そこに一本の柘榴の老木がある。木をの根元あたり塗り固めた石垣風のコンクリートには銘板が付けられている。

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長崎市被爆建造物等 御船蔵町川口卓ザクロ(爆心地からの距離2.0km) この樹木は原子爆弾の被害に耐えて生き続け、今も被爆の歴史を伝えています。平和と再生、生命の逞しさの象徴として、大切に守っています。 ※長崎市被爆建造物等とはー長崎に投下された原子爆弾による被害を受けた樹木、建造物、橋、石垣、鳥居、石碑等 長崎市(原爆資料館)

この木は被爆の証明者なのだ。被爆当時はもっと小さな木だったのだろう。当時の遠景写真では確認できないがおそらく下の写真の青線の右下の白い崖のあたりに生えていたと思われる。(下の写真は被爆の数か月後のもの。馬が見えるあたりには市電も走っていたにぎやかな通りだったが、このとおりその面影はまったくない。)そんな中で生き残った柘榴の木なのだ。

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今年も青々とした葉っぱを茂らせて赤い実もつけている。
この近くに転居したときにはこの木の前には川口さん宅があったが、その家も解かれて柘榴の木だけが残った。川口さんはおそらく原爆後にこの地に家を建ててご家族とともに生活してこられたのだろう。家の裏にある柘榴の木は家族の歴史も見てきたのだろう。
毎年春になると若芽をつけ夏には青々とした葉を茂らせ、赤い実をいくつかつける被爆柘榴の木の姿は頼もしくもある。
でも冬になるとその姿はまったく違ったものになる。

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もう来年は芽吹かないかもしれない。そんな心配をしてしまうほどカリカリに枯れた姿になってしまうのだ。この姿から夏の姿を想像できるだろうか。
76年前の人たちもまさかこの被爆した木が翌年の小さな芽をつけて青々とした葉を茂らすとは思いもしなかっただろう。
原爆被爆の翌年葉を茂らせたこの木を見た人たちはきっと命の強さと希望を感じただろう。

稀有の命を毎日眺めていられる私の日常。エネルギーをもらおう。


近くにはもう1つ被爆遺構がある。それについては一昨年書いた。再度ここで紹介させてください。

74年前のリアルを今に重ねて



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