中村俊輔がJリーグに帰ってきた(2010/3/3付)


記事の初公開日:2010年 03月 03日

中村俊輔がJリーグに帰ってきた。
俊輔の海外挑戦を楽しみにしてきた身には一抹の寂しさはあるが、彼が選んだのだから、受け入れるしかない。

逃げない選択をし続けてきた俊輔にとって、中途半端な今回の選択は、とても悔しいものだったろうが、それを選ばせるほど、W杯は大きなものなのだろう。

ならば、なぜマリノスを蹴ってまで、エスパニョール移籍をしたのか、と言う向きもあるだろうが、エスパ移籍をきめたころは、そのチャレンジでも勝算があったからだろう。

サッカーダイジェストにも書かれていたが、俊輔の予測を大きく狂わせたことのひとつに、開幕直前のキャプテン・ハルケ選手の突然死があった。
エスパニョールというチームは、華麗なパスサッカーが特徴のリーガにあって、そのスタイルをもたない数チームの1つ。中盤を省略してどんどん前に蹴りこむイタリアみたいなサッカースタイルのチーム。
そのチームが、パスサッカーへと幅を広げるため中盤にスキルの高い選手を補強したかった。そこで白羽の矢が立ったのが中村俊輔だった。
ところが、新しいチーム作りの最中にキャプテンの突然死があり、チーム作りが遅れ、さらに開幕数試合の負けが込んできたため、とにかく結果を出すためには、新しいチーム作りはひとまずおあずけにして、これまでの慣れ親しんだスタイルで戦うほうが手っ取り早く勝てると選択したらしい。
慣れ親しんだスタイルになると、中盤を組み立てる選手は要らなくなる。中盤の選手はFW的な動きのみがもおめられる。俊輔にもレッジーナ移籍当時のような動きがもとめられることになる。
ここで、エスパのスタイルと日本代表のスタイルは大きく違ったものになってくる。
W杯があと1年先であればエスパのスタイルをこなしながら代表に合流できるのだろうが、あと3ヶ月しかないとなると、それには時間がない。
また、いまの代表のスタイルは、その底流にオシム監督が作った日本らしいサッカーがあり、俊輔が理想とする形にも近い。彼の信念からいっても、代表のサッカーを選ぶことが、自分のサッカーを進めることになる。そこで、スペインでの夢を頓挫させても日本復帰をえらんだということらしい。

しかし、中村俊輔は、ある意味幸せ者。
彼のマリノス愛の強さは尋常ではなかった、ずっと日本に帰るならマリノスと言っていたが、その想いが叶えられたかたちになった。7か月前の移籍トラブルはなんだったの?というぐらいすんなりとマリノス移籍が決った。俊輔とマリノス側にはなんの遺恨も残ってなかった。
しかし、それに振り回された俊輔ファンやマリノスサポーターはまだまだ複雑な思いを抱えているようだ。
思いの整理がつかないまま俊輔のいるマリノス、マリノスの俊輔を応援することになりそうだ。

それでも、やっぱり中村俊輔を見守り、彼の選択がよりよい結果に繋がることを願うことにしよう。
出場機会が減っていた俊輔に何度も電話して励まし、自分のチームに来ないかとまで誘ってくれたゴードン・ストラカン監督(前セルティック監督)に安心してもらうためにも、セルティックと俊輔を応援し続けたファンたちが俊輔を後押ししなくちゃね。
私もそのひとり。

魅力的なチームはサンフレッチェだが、マリノスがどんなスタイルになるのか、興味はある。

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