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音楽フェスよ、ありがた迷惑であれ

東日本大震災のあと、「ありがた迷惑なもの」として

ランクインしたひとつが「音楽フェス」の存在だった。

わたしはうまれてから東京近郊にずっと住んでいるのだが、輪番停電などといって地域ごとに順番に停電させるということが行われていて、たったそれだけの経験でも、「音楽フェスが不要と思われるのもそうだよなぁ」と頷いた。

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 ちっぽけな生活ながらも、季節がらなのか、どうにも心が折れてしまいそうな日というのがある。

そんな時は「10年前に起こった裏切りの出来事」なんかを10年振りに思い出してしまって、どうも具合がよろしくない。10年間グルグル同じところを回ってて、出口なんか無い気持ちになる。

 仕事に行こうにも立ち上がることすら億劫で、数年間の信頼を投げうってでも、それを壊してしまったときのスリルを思い浮かべる。

まさに負のループということなのだろう。


『99.5パーセント、行くのを止めてしまおう』、と考える。

しかし己の空気アタマの片隅で0.5パーセントぶんの希望を思い浮かべる。

「その場所に行けばいいことがあるよ、きっと。」

そんな希望が心に0.5パーセントでもあるうちは、まだ大丈夫な証拠だ。何も感じなくなってしまったらアウトだ。

希望なのか理性なのか分からないが、わたしはどうにかそこに足を向ける。

「あぁもう、帰りたい」と思いながら現場に到着するなりソワソワしていると、

「もう帰りたい!」という声が聞こえてきた。
おやっ?と思ってそちらを向くと、今来たばかりの子が隣でソワソワしていた。

「お腹が痛い。。」という声が聞こえてきた。
反対を向くと、丸まって腹痛をこらえている子がいてどうにも気の毒になる。


わたしたち音楽関係の仕事は、基本的に現場に出るもの。

だからその「連帯感」みたいなので、不思議と頑張れたりする。


家庭の話しとか、

仕事の話しとか、

老いの話しとか、

業界の話しとか、今のところあまり興味がないので、

大学生くらいの子たちとワーワー話し

学生の子達が持つ、これからの将来に対する夢とか理想とか不安とか、

そう言うものを無垢な空気で感じることができると、ことさら楽しく感じる。

まだ、揉まれていないエゴも美しい。

放課後にいつまでもいつまでも残って話し込んでる、あの感じか。

若い子(!)がシッカリしてると、何だか感動してしまうので、そのあたりで年の差は自覚しておく。

「帰りたい」とポッキリ折れていた心はどこかへ行ってしまって、

「10年前に起こった裏切り?なんだっけそれ?」と、帰る頃には忘れてしまった。

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先のことが不安で不安で、考え事ばかりしていると、

体育座りしながら誰とも会話できず iPhoneをいじっているマイナス廃人のできあがり。

狂いそうになる。


そこで、「ありがた迷惑な音楽フェス」のことを思い出す。

年代は違っても、おなじ意識みたいなのを持つ人と集まれる場があることは、

心を正常な位置に戻させてくれるのではないだろうか?

落ち込んでいるときは、明るい場所の存在が疎ましく思える。

それでも、少し外に出てみる。

人と話す、人と時間を過ごす。人と一緒に頑張る。

ふとしたことから、どんなに前を向けるチカラがもらえるんだろう、と思う。


音楽は調和の学問。

一人ひとりの人間は、自分と世界との「調和」をともに“経験”することによって、他の人間とのつながりを作っていく。

そうでしょ?


音楽フェスよ、ありがた迷惑であれ。

(ぶん・しゃしん 前田紗希)


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