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小池都知事を見ながら「裁量権」について考えてみた



「密でしたね。」
 
「何とかして欲しいですね。現場で。」

東京都渋谷で、
若者向けに新型コロナウイルスのワクチン接種会が開かれた。

その現場の様子についての、
小池百合子東京都知事の発言だ。


私は現場を見たわけではないので、
実際のところどのような様子だったのかはわからないが、
様々なニュース記事等を読んだ限りだと、

初日は早朝から大勢の接種希望者で列ができたため、
午前7時半に受け付けを終了し、
整理券を配布したそうだ。

今回の接種会の対象となる16歳から39歳は、
まだ自治体での接種を受け付けてもらえない方も多いので無理もない。


渋谷の接種会の話は今回の本題とは関係ないし、
専門家でもないのでここまでとする。
(一応職域接種会の責任者は務めたけど)


今回の、
「密でしたね」
=問題起きてましたね

「何とかして欲しいですね。現場で。」
=私ではなく現場で対応する問題ですね

という趣旨のコメント、

SNS等では、
否定的なツッコミがTLにたくさん流れてくる。

これまで「密を避けろ」を最重要なメッセージとして発信してきている東京都での出来事なので、
「密でしたね」=「重大な問題が起きてましたね」
と捉えて良いだろう。


私も、最初反射的に、
「なんて無責任な…」
と思ったが、

冷静に考えると、
この発言が的外れなのかどうかは、
その組織がどんな組織なのかによるなと思い直した。
(本当に現場の責任だったとして、報道陣の前で都知事がそれを口にするのは如何なものかという別の問題はさておき…)


ほとんどの組織には、
役職や階層のようなものが存在する。

どの程度の役職、階層のメンバーが、
どれくらい大きな権限を持って、
重要度、難易度の高い課題に対応するのかは、
その組織によって異なる。


より重要、
より高難易度、
よりプロジェクトの根幹に深く関わる、
そんな仕事ほど、
役職や階層の上の者が対応するのが、
多くの組織での基本だろう。


しかし、
実際にどのレベルの意思決定を、
誰に任せるのかは組織によって、
本当に様々。

ある会社Aでは社長が決めていることを、
競合の会社Bでは、
一番経験の浅い新入社員が決めているなんてことも普通にあり得る。

有資格者しか行ってはいけない業務や、
取締役が持つべき機能など、
特殊な仕事はさておき、

「どんな仕事をどんな人に任せるか」
に正解はない。

ガバナンスさえ、正常に機能していれば。


先ほどの例で言えば、
ある会社の関係者から見ると、
「(うちでは社長がやっている仕事なのに)
B社ではこの仕事を新入社員の責任として委ねるなんて無責任だ。」
という感想になるだろう。


では、
今回の「何とかして欲しいですね。現場で。」
という都知事の感覚が、
真っ当なものなのか。
問題のあるものなのか。

これも同じで、
東京都という組織や、
今回の渋谷での接種会に携わったチームが、
どのような組織なのかによる。

よく、就活生が
「若いうちから裁量権のある会社で働きたい」
というし、

企業側も、
企業説明会などで、
「弊社では若手でも裁量権があり、大きな仕事ができます」
とアピールする。


この「裁量権」という言葉は、
「権」とつくくらいなので、
「権利」の一種のような性質を持つが、
実際にこの言葉が指すものは、
就業規則、稟議規定…etc
に記載されるよなうな、
明確なものではなく、
もっと曖昧な、
暗黙の了解、
あるいは空気感の話であることが多い。

ではこの裁量権という、
曖昧なものの度合いは、
何で構成されているのか。


私は、
1つ目に
「組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか」
という重要な要素があり、

2つ目に
「実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか」
というさらに重要な要素があると考えた。

しかし、「裁量権がある」「自由」を謳う組織でも、
どちらか片方しか無いケースが多いように感じる。

<<1.組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか>>

これは、上司から部下に、
あるいは、上司→部下→部下の部下→部下の部下の部下…に
どのような粒度、抽象度で、仕事が渡されるのかというもの。

渋谷の接種会の例で言えば、
あくまでも私の妄想だが、

・若者のワクチン接種率を上げるためその層特化の接種会を開く
→a.接種会の会場と日程を決める
→b.接種会の運営体制を決める
→c.接種希望者の受付方法を決める


→a-1.接種会の会場を若者の多い渋谷区の中から決める
→a-2.接種会は若者が参加しやすい●●曜日だが、何時~何時を実施時間にするのかを決める
→b-1.東京都で自ら行う部分と外部に委託する部分が決まったので、委託先をどこにするか決める
→b-2.必要人員が決まったので、誰をアサインするのか決める
→c-1.受付方法は事前予約なしと決まったので、当日受付の方法を決める
→c-2.当日受付に関する問い合わせの窓口を用意する

→a-1-1.●●
→a-1-2.●●


といった具合に、
全体の方向性を決めるような大枠の意思決定(及びそれに伴う調査など)から、
ほとんど接種会の運営自体には問題が生じないレベルの細かい意思決定、
例えば、
接種会場の廊下に落ちている小さなゴミをいま拾うか休憩時間に拾うかというレベルまで、
どんどん仕事が細分化されていっただろうと思う。


この中のどのレベルまではトップが意思決定をし、
どこからは部下や担当者に任せるのかが、組織によって変わってくる。

会社で言えば、
最も多いのは、
会場の場所、時間、受付方法あたりは、
部長クラスが決めて、
それを役員の前でプレゼンし、
役員が色々質問し、
最終的に役員の承認が降りたらプランで決まる。
その内容に応じて、
当日現場スタッフは臨機応変に頑張る。

といった権限移譲の仕方だろうか。


会社によっては、
「当日現場スタッフが、来場者に対して発していい言葉はこの3種類だけ」
というレベルのことまで、トップが自ら細かくマニュアル化するかもしれない。

逆に、
「会場/希望者受付/在庫管理…って役割分担したから、あとは各担当者が連携取りながら全部自己判断で」
といったような体制をとる企業もあるだろう。


この権限移譲の仕方が、
どれくらいの人にどれくらいの粒度のまま行われるのかによって、
「裁量権」が大きく変わってくる。


わかりやすいのは組織とプロジェクトの大きさ。
組織とプロジェクトが大きいほど、「会社全体の目的」から「新卒 間も無い社員のタスク」までの間に、
より多くの人間が存在する可能性が高く、
その都度少しずつ、上位者による意思決定がなされ、
最後に新卒社員に回ってきた頃には、ほとんど自分で判断することがなくなっている可能性が高い。

では、小さい組織とプロジェクトなら、
必ず大きな組織の大きなプロジェクトよりも「現場に権限移譲する仕組みなっているのか」というと、
決してそんなことはない。

組織とプロジェクトが小さくて、階層が二階層しかなかったとしても、
一段階目、つまり社長やプロジェクト責任者が、全て自分で決めるような組織であれば、
結局「裁量権」は、二階層目の新入社員まで回ってこない。
結局、大きな組織の社長、役員、本部長、部長、課長、係長が、
6人かけて少しずつ行なっている意思決定を、
社長が1人で行ってしまう組織では、
社長と新卒の2名しかいない会社だったとしても、「裁量権」はないわけである。

以上が、「裁量権」が決まる上での重要要素の1つめ、
「組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか」


<<2.実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか>>

>1.組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか
はどちらかというとルール寄りの話である。

渋谷若者向け接種会の待機列が長くなった時に、
受付方法を変更したり列の並び方を変更させたりするという大胆な意思決定を、
本当に現場スタッフの仕事として渡してたのかという話だ。

現場スタッフに与えられた職務が
「当日受付にやって来た希望者たちをマニュアル通り並ばせること」
だったのか
「当日受付をやって来た希望者たちに上手く対処すること」
だったのか、
という話である。

後者のような仕事を渡し方をする組織だったのであれば、
「何とかして欲しいですね。現場で。」
はわからなくもない。

そして、次に触れたい、
>2.実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか

という要素は、
仕事の渡し方やルールがどうだったかはさておき、
本当に一人一人がそこまでやっていいんだと心から思える環境なの?
という話である。

あなたが上司や先輩から、
「いい感じにやっといて」
と言われたとする。

「組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか」
の観点で言えば、トップが全ての権限をあなたに移譲した状態である。

次に、さっき思い浮かべたのとは別の先輩や目上の人の顔を色々と思い浮かべて欲しい。
できれば同じ会社、同じサークルの目上の人ではなく、
様々なコミュニティの人を思い浮かべていただけるとなお嬉しい。

どの人に「いい感じにやっといて」と言われたのかによって、
言われた言葉自体は全く一緒だったとしても、
「実際のところどこまで好きにやって良さそうなのか」は、
全然違うように感じたのではなかろうか。


なぜその違いが生じるのかというと、
それぞれの上司や先輩、偉い人が、
普段あなたのことをどれくらい尊重しているのか、
どれくらい意見に耳を傾けてくれるのか、
一人前として扱ってくれるのか、
信じれ見守ってくれるのかが、
それぞれ異なるからである。

特にルールが決まっていない状況、
あるいは、同じルールが敷かれた状況でも、
人は言葉やルールを「建前」と捉え、
相手の態度や過去の関係性から「本音」を読み取ろうとしてしまう。


好きにやっていいよというルールになっていたとしても、
(自分が意思決定者になっていたとしても)
なんだかんだ相手の意見やこだわりを押し付けられて、
最終的に相手の気に入る答えを出すまで邪魔される、
と感じてしまっては、
「現場判断」は機能しなくなる。

「本当に自分が決めていいんだ!」
と思えていないと、
ルール上決めていいことになっていても、
そのルールは、当事者にとって形骸化する。

「●●休暇という制度があるけど、使ってる人見たことない」
とかの類とも似ている問題かもしれない。

上司や先輩の発言を、
「命令」と捉えられる環境と、
「助言」と捉えられる環境では、
同じ規定の中で行われた同じ発言でも、
その意味が大きく変わってくる。

例えば、私の勤めるガイアックスという会社は、
よく、「風通しの良い会社ランキング」的なもので1位に選ばれているような会社で、
自由な会社として各種メディアから取材していただくことも多い。

しかし、
実は代表の上田祐司は、
私から見るとかなり細かい人。
他にあまり見たことがないくらい細かい人である。

「え?そこ、こだわります?」と思うくらい細かいフィードバックが飛んでくるし、
「どちらを選んでも変わらない気がするけど…」という選択にまでコメントが来る。
「それはさ…上田さんが特殊なだけだよ…」と感じてしまうようなコメントをいただくことも多い。

だからと言って、
「風通しの良い会社」「自由な会社」が嘘なのかというと決してそうではない。
その細かい意見を受け取る側の私が、
それを「命令」ではなく「助言」だと捉えているからだ。
実際、社長の方も、よほどの場合を除いて、
その社長のフィードバック内容を私が反映(導入?)するかどうかまでは介入してこない。

ルール上、権限の移譲の仕方上、
人事総務部長の私には、
この会社の組織や人について、
自分の判断で意思決定していいことになっている。
これが「1.組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか」

そして、私は、代表上田を始め、その他の関係者の意見を、
参考にする必要はあるが、必ずしも反映する必要はない。
あくまでも助言であると捉えている。
これが「2.実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか」だ。


このような場合、
トップの発言が細かかったとしても「工夫してほしいですね。現場で。」は成り立つ。
現場担当者にとっても不満はない。
「確かに私が受付方法の変更を発案し、事前予約制にすればよかったんだ。」
「確かに私が勝手に整理券を作って列を解散させればよかったんだ。」
と本気で思えるからである。


「裁量権のある組織」に身を置きたいのであれば、

1.組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか
2.実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか
の両方を冷静に見極めなければならない。


最後に、この見極めを惑わせる巧妙な罠もあるので触れておきたい。
   


同じ条件でも 本人の覚悟感で「裁量」の感じ方は変わってしまう問題


いわゆる『イノベーター人材』と呼ばれているような人たちや、
『そのプロジェクトに対する使命感がめちゃめちゃ強い人』は、

「2.実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか」
がなくても、空気や前例を無視して、
鋼のメンタルで、自分が正しいと思う方法で、自分がやりたいこと実現できてしまうということである。
そういう人たちにとっての「うちは自由」は、
「壁を壁とも思わない」であって「壁がない」ではないので、
普通のマインドセットの人が鵜呑みにしてしまうとミスマッチが起こる。

「自由」と「責任」はセットである。
「裁量権がある」ということは
自分で定義しなければならない、
自分で決意しなければならない、
自分で完遂しなければならない、
とセットなのである。

この「責任」の方の覚悟が自分とは違う人の視点で見た世界を、
参考にしてしまってはいけない。

ましてや、
「その組織の中でも異例な存在」が口にする、
「うちは自由」を鵜呑みにして、組織を選んではいけない。
その人にとっては裁量権がある環境だが、
他の人にとっては裁量権がない環境という可能性があるからだ。


「他の社員とはタイプの違う、組織内でも異質なエース社員」
的な人を広告等にして、「裁量権がある組織」を謳い、
そのエース社員ほどの突破力はない人間を集めてしまう組織を見ると反吐が出る。
それは、その組織が「裁量権のある組織」なのではなく、
そのエース社員にとってはすべての組織が「裁量権のある組織」なだけだからだ。

かくいう私の所属組織も、
「おそらくほどほどに人に決めてもらってほどほどに自分でも決めたい」
という温度感の人にとっては、「裁量権がある組織」ではないかもしれない。
だからそのような人が間違って入社してしまうことは双方にとって一番不幸であり、
そうならないように細心の注意を払っている。

久しぶりのnoteでかなり長くなってしまったが、

「なんとかしてほしいですね。現場で。」
が本当に可能な、
「裁量のある組織」を探している人には、

1.組織として、どこまで現場に権限移譲する仕組みなっているのか
2.実際に、権限移譲された側が本当に自由にやっていいと思える空気なのか
 + それは自分と同じくらいの覚悟感の人にとってもそうなのか

を見極めて見てほしい。


僕がnoteを書いている目の前で、
当日担当スタッフの皆さんの臨機応変な対応によって、
様々なプチトラブルが次々に解決されていく
共同職域接種会の様子を眺めながら、そう思った。

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