【読切】【掌編小説】書斎のギフト

 これは僕が初めて爺さんの書斎に入ったときのお話。
 うちの両親と違って爺さんは投資による資産家だった。僕の父は大手のIT系企業勤務で、母は専業主婦だ。今でこそ珍しいが、六歳の僕は母の愛情をたっぷり受けて育っていた。
 立派な木造の洋館の三階にそこはあった。母には「おじいちゃんの大切な本ばかり置いてあるから入ってはいけないよ」と何度も言われていた。僕は今でもわりと素直で、その言いつけを守っていた。
 ただ今回ばかりは違った。愛犬であるミニチュアダックスのマーフィン(ブラックタン)が、少しだけ空いていたドアの隙間から書斎に入ってしまった。僕はとっさに、言いつけを守ることより、マーフィンが書斎をめちゃくちゃにしてしまうことを止めないといけないと思った。

 なぜ入ってはいけなかったのか。僕はその理由を思い知ることになる。

 部屋に入ると真っ暗だった。
「よう、兄弟」
 聞き覚えのない声がする。
「……誰?」
「そうだな、君が言うマーフィンの口を借りて話している」
「えっ?」
「まあ、そう驚くな、兄弟」
 灯りがついた。そこにはマーフィンと、ぎっしり巨大な本棚に詰まっている本しかなかった。
「本物のマーフィンの意識は、悪いが眠っている」
「君は誰なの?」
「そうだな、まあ、君を試すもの、だ」
「試すもの?」
「ああ、君が本当に、正統な力を持ったものか、悪いが試させてもらう」
「うん、わかった」
「……いいだろう。ここに三つの本がある」
 相当、不思議な光景だ。三つの本がマーフィンを中心に浮いている。ただあのときの僕はこんなこともあるんだ、と、幼いから受け入れていたんだ。
「うん、三つある」
「そうだな、一つは『すべてに打ち勝つ剣の話』、一つは『すべてから守る盾の話』、最後の一つが『すべてがわかる魔法の話』、が描かれている」
「すごい!」
「そうだな、この中の一つを読ませてやる。すると君に眠っている才能が目覚めるはずだ。そして無事に、この部屋から抜け出せ」
「無事に?」
「ああ、じゃあマーフィンは帰すぞ」
 それを最後に、ドアの隙間からマーフィンは走って出て行った。

 どれを読めばいいんだろう。素直に考えたら打ち勝てばいいから最初の本なのかな。でも、すべてから守れるのも素敵だ。わからないことばかりだからすべてわかるのもいいのかも。

 そう考えていると、他にも同じような本が置いてあることに気づいた。ふ、とある本が目に留まった。
「これは……」

『すべてを愛することができる本』だった。

 本を手に取ろうとすると、その本が話しかけてきた。

『お待ちなさい。流石はこの家の後継者です。私に興味を持つことはとても素晴らしいことです』
「うん」
『ただし、この試練は本当に危険です。すべてを愛するということは、悟る、ということの真逆のこと。茨の道です。あなたはそれでも――』
「うん、いいよ」
『なぜですか?』
「僕はこの世界が大好きだから、ずっとそのまま生きていたい」
『私を手に取りなさい。全力で一緒に戦いましょう』
 本を手に取った。

 浮いていた三つ本から、中世ヨーロッパを思わせる甲冑の騎士、盾を持った身軽そうな戦士、そして紫のローブを着た魔法使いが出てきた。

 そして僕の横には――
『大丈夫、僕がついてる』
 本が消えて、修行僧を思わせる背格好の少年が立っていた。

 魔法使いが口を開く。
「あいつの能力は作り直す、もの。壊れたものを治し、または壊すこともできる」
『そういうこと、僕にまかせて』
 それを聞いた騎士が僕へ剣を振り下ろすと、少年はその剣を受け止め、鉄塊に変えてしまった。
 思わず叫ぶ。
「すごい!」
『本番はここからだよ』
 魔法使いが呪文を唱えると、剣が元通りになって剣士の元へ戻り、盾の戦士が前へ出てきた。
『あの盾は破壊し切れない』
 少年が盾の打撃を受け止めると火花が散った。
「うわっ」
 僕は飛んで離れたが、そこへ剣士の剣が――

 初めての死の幻覚。

『大丈夫だ!』
 その瞬間、床が崩れ落ちて騎士が消えた。
 魔法使いは即座に呪文を唱えると、騎士は天井から再現した。
『床を壊したけど読まれてるね、魔法使いに』
 そう、つまり、最高の剣、最高の盾、最高の頭脳を相手にしていると気づいたとき、僕は――
「どうして三人はそんなことしているの?」
 自然とそう聞いていた。

「な、ぜ?」
 魔法使いが口を開いた。
 騎士が続ける。
「逆に問おう。なぜ君は私たち三人の誰かを選ばなかった」
 盾の戦士が言う。
「三人の誰かの呪いが、解けたかもしれないのに」
 僕は返事をする。
「呪い?」
 魔法使いが答える。
「ああ、試すもの、にかけられた生涯この家を守る呪いだ。君の先祖たちは誰かを選んでいた。だが、なぜだ。君に限って、他の本棚にあったあんな本を」
「わからないよ」
 魔法使いが話す。
「わからない?」
「うん、でも、そういうことなら、四人、あ、五人で一緒に、その試すものと戦おうよ。僕も呪いを解くのを手伝うよ」
 マーフィンに憑いていた試すもの、の笑い声が聞こえた気がした。
 魔法使いが続ける。
「あいつは私たちより強い。それでも、それが、君の答え、なのか」
「うん」
 すると、三人は少し笑ったように見えた。

「私たちも、同じように仕えましょう」
 三つの本が僕の前へ飛んできて、それを手に取ると、一つずつ消えていった。

 無事にドアから廊下へ戻ると、マーフィンと両親がいて、母に抱き寄せられた。
「大丈夫だった!?怖かったでしょう」
 母が言った。
「うん」
 父が真剣な顔で聞く。
「それで、お前は三つのどれを選んだんだ?」
「えっと、他のやつ」
「「えっ?」」
 父と母が同時に驚いた。

 その書斎の役目は終わったらしい。
 呪いは消えて、試すもの、は僕の子どもを試そうとしなかった。
 あれは一体何だったのか。今でもわからない。ただ僕が思うに、あの試練で何度か後継ぎが死んだことがあるらしく、僕の家にかけられた何かの呪いだったんだろう。
 僕は母の愛情をたっぷり受けて育った。
 辛いことはあったけれど、今でもこの世界が大好きなままだ。

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